一九八五年から八六年にかけて打ち上げられた二個の測地衛星により、北京、天津、唐山地区などの五万五千平方キロ範囲内の四十七の県級単位の土地、水域、森林、耕地、アルカリ地、風砂地、住民用地などの面積、割合、構成などについての調査が行われたが、その専門的調査にかかった費用は通常調査のわずか十三分の一から三分の一程度であった。
また衛星写真によって、鉱物地質調査も行われた。タリム盆地では新な石油埋蔵地質構造が発見され、山西省大同炭鉱ではその炭田範囲を確定して炭層の直接区分を行い、北京地区では七カ所の鉱化予測地が見いだされ、内蒙古ではクロム鉱と鉄鉱が発見された。また衛星写真で地震と地質の調査が行われ、黄河デルタの地図の改訂が完成し、中国で最初の南沙群島の映像地図が出来上がり、黄河、灤河、海河の三大水系の泥砂の動態法則と相関関係が明らかになり、六盤山鉄道敷設のために危険断層帯を避けるルートを見つけ出した。
星を追跡する科学技術者たち カメラ•鄒毅
中国の衛星の地上受信ステーションの数も十五万以上に達し、テレビの全国カバー率が一段と高くなった。
だが、これらすべては、二十世紀の水準を示しているにすぎない。
人類の宇宙開発事業はハイテク産業であり、高投入、高リスク、高収益、高発展を伴うものであるため、それぞれの国において今後現在の水準を越えるよう努力する必要がある。
中国でも二〇一〇年までに実用衛星、衛星利用、搭載手段、有人宇宙飛行、観測コントロール•システム、打ち上げ場と回収場、宇宙科学と宇宙探査、宇宙航空技術の応用システムなどの面で、さらに大きく発展させる必要がある。その任務は決してたやすいものではない。
現在では、各国それぞれの宇宙航空面への投資の度合いが、その国の宇宙航空技術の先進的地位を示しているというのが世界共通の認識となっている。一九八七年を例にとってみると、宇宙航空分野への投資額は、アメリカ二百十億ドル、旧ソ連三百億ドル、フランス八億五千万ドル、旧西ドイツ三億七千万ドル、日本七億二千五百万ドル、インド二億四千五百万ドルであった。そして中国はその国情により、「貧しい国」としての宇宙開発事業発展のコースをとるしかなかった。
宇宙開発産業はすでに、二十一世紀の経済成長の牽引車と見られている。アメリカ人は宇宙開発分野でトップになる意気込みを表明しており、ヨーロッパ諸国はその科学、工業、経済などの面での自主権を決定づける大さな切り札として宇宙開発産業を位置づけている。日本は宇宙開発を通して、日本経済と科学•技術の発展を促進しようとしている。発展途上国も絶えず投資を増やし、二十一世紀における国際競争で一席を占めようと懸命になっている。
二十一世紀に、中国は独自の宇宙航空技術に頼って、よりいっそう繁栄、発展した国に築きあげようとしている。
「北京週報日本語版」1997年1月6月 第1号
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