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「東方紅」から「北斗」まで  
宇宙開発奮闘四十年の足どり

 

並々ならぬ四十年間の辛苦

前述の通り一九五六年に新中国初のミサイ

宇宙開発奮闘40年の足どりル研究院が設立されて、中国人による宇宙資源の平和的開発•利用事業の幕が切って落とされた。この時より「自力更生を主とし、先進国の持つ科学的成果を利用する」ということが、中国の宇宙科学技術事業の発展の一貫した方針となった。

宇宙航空事業においては、当初は確かに旧ソ連の援助によるところが大きかった。だが、「外国依存」を捨てて、独自の設計と研究•開発こそ中国の宇宙航空関係者の志すところであったというべきである。

「織女3号」宇宙探査ロケットの第一段と第二段をつなぎ合わせている研究者たち カメラ•鄒毅

 

今世紀の初めに中国の若い科学者たちは国外から、何冊かの宇宙物理学に関する著作を持ち帰ってきた。それは旧ソ連の科学者チオルコフスキーが一九〇三年に著した、ロケットならびに液体ロケット発動機理論の基礎を打ち立てた世界的に有名な「チオルコフスキー」公式であった。それらの著作にたよって、一九五六年に中国の宇宙航空事業はいくつかの小さな部屋、空き地において、今のような資料室も大型コンピューターも参考となる先人の成功の経験もないという状況下で、その一歩を踏みだした。

多くの国と同様に、中国の運搬ロケットも、早期の戦略ロケット(戦略ミサイル搭載)に続く型のものであった。言い換えれば、新中国で始まったばかりの宇宙航空事業は、その当初から中国の国防力の増強と宇宙資源の平和的開発•利用という二つの重責を担ってきたのである。

一九五六年、中国は最初の大陸間弾導ミサイルの研究•開発を始めた。その時の一部の設計は、北京航空学院飛行学科(後の宇宙航空学院)の最初の卒業生たちの卒業設計であった。

一九六〇年十一月、中国は最初の短距離ミサイル(模造)の発射に成功し、一九六四年六月には最初の国内設計の中•短距離ミサイルの発射にも成功した。これによって中国は、ミサイルおよびロケットの独自の開発能力を基本的に身につけたのである。

一九六五年初頭に第七機械工業部が設立され、中国は人工衛星の開発計画に着手し、「長征1号」運搬ロケットと最初の人工衛星の開発を始めた。一九六八年二月に中国宇宙技術研究院が設立され、それまで別々になっていた人工衛星の研究、設計、試作、実験などの諸機関が統一され、酒泉と西昌の二カ所の宇宙ロケット打ち上げセンターや一連の宇宙飛行観測コントロール•センター、観測ステーションなどが次々と建設され、比較的完備された宇宙工学システムが形づくられた。一九七〇年四月二十四日、中国初の人工衛星「東方紅1号」が宇宙空間で運行を開始した。

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