未来の中日関係を楽観
中日は一戦交えるに違いないと言う人は多いが、私はそれほど悲観してはおらず、楽観的な態度をとっている。私は戦争のほかにもこの問題を解決するもっと知恵を活かした方法があるはずだと考えている。或いは、十分に知恵がない状況においては、少なくとも論争は棚上げするべきだ。なぜなら戦争で得られた領土は、次の戦争で失うかもしれないからだ。
特に悲観していない理由の一部は中国政府の態度にある。実際、中国政府は今回非常に自制的だった。最初の抗議の後、数回連続で大使を呼び出したことは、確かにここ数年なかったが、中国政府が自制的でなかったら、大使を直接退去させ艦隊を差し向けていたはずで、一触即発の事態になっていた。中国国民は中国政府を弱腰だと考えたが、実際には、中国政府は中日関係という大局的視点や当該地域の平和的発展の角度から、さらに多くを考慮していたのだ。
昨今の中日関係の発展から見ても、悲観する必要はない。小泉政権の間、民間の賠償請求、南京大虐殺、靖国神社参拝などにメディアの注目が集まり、当時の中日関係は「政冷経熱」であった。現在の所謂「氷点」は、当時よりも低いだろうか?そんなことはない。小泉政権終了後、中日関係は「氷を砕く旅」と「氷を融かす旅」を経て、花開く春を迎えた。今は若干の面倒事や困難にぶつかってはいるが、小泉政権終了以来の良好な関係へと向かう大きな流れは変わっていないのだ。
ここ数年、中日の民間交流も多く、中日のジャーナリスト、一般青年、経済界の間でも密接な交流が行われている。これが基礎であり、この基礎は全体として強化され続けている。日本に行った人の多くが、日本人はとても温和だなど、日本人に対して好印象を抱いて帰ってくる。こうした東洋人に共有の文化の面で、両国国民の間には多くの共通点を見出すことができる。これが重要なのだ。
近く中日首脳会談も
中日関係の基礎はまだしっかりしており、釣魚島事件の影響はすぐに消えるだろう。中日両国の首相はアジア欧州会議(ASEM)で「廊下外交」を実現させ、日本側の入念なお膳立てにより菅直人首相と温総理との偶然の出会いが演出され、しかも会話は25分間に及んだ。これは、両国の指導者層がともに中日関係が良好な方向へと向かうのを望んでいることを物語っている。温総理の言葉の通り、中日の戦略的互恵関係の発展を促進することを望んでいるのだ。
不測の事態が起きなければ、11月に日本で開催されるAPEC期間中に、中日の指導者は「正式会談」し、釣魚島事件のページがめくられて日中関係は次なるページへと進むことになるだろう。もちろん、日本がダライ・ラマの訪日を招請しているという噂もあり、これは変数である。日本には面倒事を起こさず、中国の核心利益に触れないようにしてほしい。
しかし、今後の両国関係が順風満帆であるという意味ではない。
日本は米国に追随している。これまでになくアジアを重要視しているとはいえ、日米同盟を基礎とした戦略は変わっていない。鳩山由紀夫元首相は普天間基地問題で米国と腕比べをしたが、その結果失意のうちに首相を辞任した。今後、米国とアジアの間でいかにしてバランスのとれた選択を行っていくのかが、日本が隣国関係をうまく保つためのカギとなる。
日本人は政治家を含めて、一つ一つ個別の得失にこだわり、マクロ的な視野に欠けている。戦略上はすばらしいが、戦術的には若干問題がある。日本人はロシアとの間に北方四島についての争いがあり、韓国とは竹(独)島についての争いがあることをよく分かっている。竹(独)島問題については何も説明することはない。日韓は米国の盟友であるため、米国はこの島をめぐって問題が複雑化しないよう圧力をかけている。
次なる一歩は、どうやってもっとよくするかだ。私は日本の加藤嘉一氏と鳳凰網(ifeng.com)の番組で対談したが、その際に加藤氏が述べた以下の二つの観点に賛成だ。一点目は、今日のような変化の中にあって、日本はさらに深く中国を理解すべきであり、日本人は社会主義の赤い政権という偏見で今日の中国を見るのではなく、もっと広範で多様化した方法で今日の中国を見るべきであり、それが中国人とどうつきあっていくかを考える上でプラスになるということだ。
二点目は、中日間には危機に発展する可能性のある突発性事件が至るところにあり、両国は早急に文化人、メディア関係者、学者、芸能人などからなる突発事件管理委員会を設置すべきだということだ。これは国情と体制の違いによって両国関係にもたらされる極めて大きな代価に対処する上での助けになる。
実際、中日関係は体制の枠組み内でのみ築かれるべきではなく、ルーチンの枠を超えたインタラクティブなメカニズムを考え出して、安定的で健全な関係の発展を保証するべきである。船舶衝突事件で、私たちはこうしたメカニズムの多様性を改めて認識することができた。これは両国にとって非常に重要である。
「北京週報日本語版」2010年10月18日
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