この20日間にも及ぶ「中日釣魚島海域衝突事件」の嵐が未だに収まらないことは憂慮すべきことである。中国は主権と人権に基づき、日本に謝罪と賠償を要求した。しかし、日本は「処分保留で釈放」という形で自国の主権を主張し、謝罪と賠償には応じなかった。これは長丁場になるであろう冷戦外交のほんの始まりに過ぎない。
国際政治の中で主権の衝突は融通が効かないことである。自国の強権を守ろうとする慣習と公理やモラルを守ろうとする訴求との間に、外交の近道や感情の衝突は生じやすいのだ。
戦後の中日正式会談の中で、長い眼で見た両国の友好関係を築き上げていく為に、釣魚島の領土問題は故意に避けられてきた。国境で日本が実際やっていることは武装防衛である。それにもかかわらず、中国の民間漁船が釣魚島の海域に入り衝突事件を起こしたときには結局、外交手段に頼って政治的に解決してきたのだった。
しかし、今回の衝突事件はと言うと、日本は完全にこれまでの中日外交関係で培ってきた「政治的解決」を忘れてしまっているだけでなく、「一方的に現状を替え」ようとしている。日本は国内法で国際間の衝突を処理し、自国の主権を主張しようとしているのだ。これに対し、中国は一度抵抗を試みたものの意味はなかった。日本は政治的に平和解決しようとした中国の面子をつぶしたのだ。そして、拘置1週目に起きた期間の延長は中国の半分の面子もつぶし、拘置2週間目にして日本はようやく、この事件が中日関係に及ぼす影響の深刻さに気づき、船長を釈放したのである。波乱続きの衝突事件は中国に4分の1の面子を残して、取り敢えずは幕を下したのだった。
この事から分かるように、日本の国内法で解決しようとする強引で威圧的なやり方は失敗に終わっている。中国の「政治的解決」という友好的な態度も、日本のせいで面目がつぶれた。あとに残ったのは、日本の断固とした「処分保留」と中国の「謝罪と賠償要求」という水と油の対立だ。この「衝突後遺症」とも言うべき確執は、「和則両利、闘則倶傷(和すれば両方に利あり、闘えばともに傷つく)」という格言の真意を物語っている。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2010年9月29日 |