深セン市共産党委員会の王栄書記はこのほど、深セン経済特区成立30周年にあたり、次のように発言した。
深セン経済特区は今年成立30周年を迎える。人間にたとえると「三十にして立つ」(『論語』)という而立の年にあたり、引き続き夢にあふれる年頃だ。而立の年にみる夢は、より若い時や子供の時にみる現実味のない夢とは違う。いろいろな蓄積や土台があるため、30歳という時は精力にあふれ、みる夢もより理性的なものになる。だが30歳は重要な時であり、無茶はできない。よって夢をみつつ、現実に一層ふさわしい行動を取り、科学的発展観に基づく新しい道を歩む必要がある。
この30年を振り返れば、深センはどのような面で成果を挙げたのだろうか。現代化建設の成果であれ、改革開放への貢献であれ、深セン経済特区が特区を建設するという中央政府当時の意図を達成し、改革開放事業や中国の特色を備えた社会主義建設の事業への探求や貢献を行ったことは間違いない。
深センが30年間に挙げた成果には次のようなものがある。
第一に、大胆な改革・革新や先行的な取り組みが成功し、中国の改革開放事業の方向性となった。深センは30年前、古い体制をうち破り、「石を触って川を渡る」式に積極的に動き出し、探求や実践を大胆に進め、突出した成果を挙げた。こうした功績は消えることがない。今、過去30年間を総括すると、中国の改革事業のプロセスにおいて、さまざまな「一番」が深センで生まれたことがわかる。株式の第一号、土地市場の初入札など、枚挙にいとまがない。中国平安保険(集団)株式有限公司の馬明哲董事長(会長)が語ったイメージによると、深センは長らく石を触りつつ川を渡ってきたが、今は橋に上がって川を渡るべき時だ。当時、内陸部から深センにやってきた幹部や企業家のほとんどが何も持たない状態で。失敗したときに備えている人もいた。チャレンジ精神と石に触りながら川を渡る勇気や努力を元手に、実践の成功を踏まえて、深センは中国の改革開放事業を推進する存在となった。
第二に、深センが30年で挙げた大きな成果は、国の改革開放政策の正確さを実証するものであり、中国の特色ある社会主義の道が必ずや成功することを実証した。30年間の年平均成長率は25.8%に達し、深センはぱっとしない農業県から経済の大都市に生まれ変わった。昨年の域内総生産(GDP)は約8200億元、一人当たり平均は1万3600ドルに達し、中レベル先進国並みの水準に到達した。過去30年間に深センがこれほど大きな経済発展の成果を得、人々の生活が驚くべき変化を遂げたのはなぜか。それは改革開放が巨大なエネルギーを放出したからだ。
第三に、深センには革新や起業の気風が生まれ、独自の革新力や国際競争力を備えた現代型大企業群が大きく発展した。これもすばらしい成果だ。
華為、中興、騰訊、比亜迪などの一大企業群は、深センでゼロから身を起こし、大きく成長し、今や中国企業を代表してグローバル競争に参入する存在となった。このような中核的技術をもち独自に革新を遂げた企業こそが、深センの経済成長の原動力となり、深センの改革開放と現代化建設事業とを前に進ませたといえる。
第四に、深センは30年かかって国際的な影響力をもつ現代型都市の建設をほぼ完了させた。これは世界の都市発展市場でも類をみないことだ。今の深センは、都市機能が整い、交通が発達し、市民の生活ぶりは相対的に豊かで、生態環境に配慮した文明建設で目立った成果を挙げている。それほど成熟した都市ではないが、深センは今や、活力や規模、影響力などで、百年や千年の歴史をもつ都市と肩を並べる。政治、社会、文化の建設や中国共産党の建設などでも、参考にすべきたくさんの経験を蓄積している。
30年という節目、および新たな発展のスタート地点に立ち、深センにも「成長の悩み」や「モデル転換の苦しみ」があることは確かだ。
まず、30年の発展を経て多くの人が夢をかなえた後、いかにして挑戦や創業のモチベーションを維持するか、だ。そのためにはこれからの30年間も、これまでのように、やりたいことを急いでやってみる、という起業ムードを継続させることが必要だ。また、クジャクが東部や南部に飛んでいくような人材育成の環境を今後も整備し、熱い気持ちで燃焼する世代を形成することが必要だ。これは深センが今後も発展し、革新し、改革する上で欠かせない外的条件だ。
次に、発展が直面する資源のボトルネックの問題だ。30年の発展を経て、今後の発展は土地などの資源面での制約に直面することが予想される。特区は市内全域に広がっているが、多くの都市に比べて、まだ規模は目立って小さいといえる。これは今後の発展における不足点となる可能性があるが、科学的発展観に基づく道を他に先駆けて進む上での動力になる可能性もある。科学的発展観の道でより大きな一歩を踏み出せば、深センの発展の可能性や潜在力は引き続き大きなものとなる。香港やシンガポールのような先進都市とでは、規模や質に小さくない隔たりがある。深センは特区として、30年の節目に科学的発展観の手本になるという責任があり、義務があり、必要がある。
また次に、「特」をどのように継続するかという問題がある。過去の特区の発展を支えた多くの政策的条件が徐々に失われ、都市間の競争は対等化が進んでいる。こうした状況の下で深センが発展するには、自身の革新を土台とし、自身で作り上げた「特」に依拠し、新時期に作り上げた「特」に基づいて、改革開放と現代化建設事業を引き続き、よりよく、より急速に推進することが必要だ。
こうしたわけで、深センは新しい30年間の出発点に立ち、今後の発展を積極的に模索し、「科学的発展観の手本となるよう努力し、現代型の国際化した先進的都市を早急に建設する」という目標を確立した。これは今後30年間に努力すべき方向性だ。われわれは今後も引き続き特区の機能を発揮させ、科学的発展観の通知票で「優」を目指し、科学的発展のより大きな成果を勝ち取りたい。現代型の国際的な先進都市の建設を通じて、現代型産業を引っ張り込み、現代の生活を誘導し、深センがシンガポールや香港、はては欧米の現代型都市のに比肩する先進的都市となるよう努力する必要がある。今後は、現代化を土台として、国際化を一層進展させ、深センを国際交流のプラットフォームや世界の先進的要素が集結する都市にしていきたい。(編集KS)
「人民網日本語版」2010年8月26日
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