1980年8月26日。北京の人民大会堂。全国人民代表大会(全人代)常務委員会は国務院が提出した「広東省経済特区条例」について採決し、可決した。これは深圳など経済特区が正式に設立されることを物語っている。
歴史は深圳を選択し、深圳は歴史に恥じることはなかった。中国の波乱万丈な改革開放の過程において、深圳は改革開放という偉大な成果を示す重要な窓口となった。
三十にして立つ。深圳は新たな道のりを歩み始めた。新たな歴史的起点に立ち、深圳は勇気と力をもっていかに潮流に立ち向かっていくのか、特区としての輝きを持続できるのか。
深圳の夜景
◆科学的発展の新たな道を歩む
「石を撫でながら河を渡る」。これが深圳の過去30年の重要な経験だ。
深圳のメディアは今年8月初め、特区設立30年に関する様々な事項を100件選び出した。新中国初めての株券の発行、全国に先駆けての証券取引所の設立、土地の競売、土地市場の確立……。当時の伝統的な計画経済体制において打破された各事項は、それぞれに中国の改革開放史に色濃く記載されるに値する。
三十年にして立つ深圳、その総合関連改革はすでに非常に切迫している。国務院が09年に認可した「珠江デルタ地域の改革と発展に関する計画綱要」と「深圳市総合関連改革の総体プラン」は、初めて国家的な立場から、深圳が「国家総合関連改革の試験地区、全国の経済の中心都市、国家革新型都市、中国の特色ある社会主義モデルの市・国際化都市」となる新たな使命、新たな位置づけを明確にしている。
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