一、 どんな人にとっても、自分の置かれたポジションで、ベストを尽くし、
そのなかで自分のスタイルを構築していくこと。アーティストの場合でもそうだが、自分のスタイルをつくり上げないと、ユニークな存在とはなりえない。そのためには、基礎を固めるとともに、知識の幅をできるかぎり広げていくことだ。しかし、これは無限のたたかいとなることを覚悟しておかなければならない。
二、日本語を主としている人たちにとっては、日本語と中国語の知識をより深いものにしていくこと、これはこの道を歩むことを決めた以上、避けて通れないことだ。
三、ある段階で管理職になる人もいるだろうが、大きな企画を練って、大勢の翻訳者を育て上げることも非常に重要なことである。考えてみたまえ。例えばオーケストラに指揮者がいなければ、シンフォニーを演奏することは不可能だ。しかし、指揮者になれば、もうコンサート・マスターになりたいという「衝動」の火を消し去らなければならない。私の知人に非常に優秀な翻訳者になれる人が2、3人いるが、今では、翻訳者を育てる側で東奔西走している。こういう人たちがいなければ、大きな歯車がまわらなくなる。こういう面では私は勇気のない人間であった。つまり、自分の中の火を消したくなかったのだ。これからの若者たちには、こういう道を歩んでもらいたくない。
中国の国際的地位の向上により、広い意味での翻訳者のニーズは何万もあるご時世であり、また、翻訳者兼編集者、記者というマルチタレント的役柄にすんなりはまっている人も増えている。今回の対話を通じて、私は今の若者たちは非常に恵まれている、と感じた。そうして、知識の幅も深さも、われわれ以上のものがあることもハッキリしている。天の時、地の利、人の和、万事備われりである。「高級翻訳者」が次々と現れてくるイメージを、私はすでに脳裏に描いている。これからが見物だと思う。
「中国網日本語版(チャイナネット)」2010年8月23日
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