本誌記者 繆暁陽
上海万博が開幕して以来、「紫蚕島」(日本語では「かいこじま」)の名称を持つ日本館は大人気が続いている。日本館は「心の和・技の和」をテーマに、科学技術と環境、科学技術と都市についての内容を日本人ならではの解釈で展示している。テーマを具現化する上で、日本館は日本の文化理念を強調したと同時に、中国的要素も際立たせ、中日友好の「一衣帯水」の間柄をアピールしている。
愛称は「紫蚕島」
日本館の愛称「紫蚕島」から、中日文化の共通点を見ることができる。日本館の色には紫が採用された。聖徳太子が定めた「冠位十二階」で最上位を示す色が紫であることからも分かる通り、日本人は紫を優美で高貴な気品のある色だと考えてきた。中国では、古代から「紫気東来(瑞祥の気、東方から来たる)」は吉祥の象徴だと考えられ、杜甫にも「東来紫気満函関」という詩句がある。伝説によれば、仙人が住むところを紫海、帝王の宮殿を紫極、紫禁と呼んだ。故宮が紫禁城と呼ばれるのはこのためだ。
万博会場メインストリート「万博軸」から「紫蚕島」の名を持つ日本館を望む(繆暁陽 撮影)
日本館の愛称について、江原規由日本館館長は次のように説明している。「日本館の外形が蚕の繭を連想させることから『紫蚕島』と命名された。この愛称はある中国人女性が提案したもので、審査委員会の厳正なる審査の結果、応募総数約3600通の中から選ばれたものだ。『紫』は日本においても中国においても高貴と長寿を意味する色合いとされていること、また、『蚕』が作る絹糸は日中の文化のつながりを表す象徴の一つでもあること、『島』は日中交流と協力を増進する現在および未来にわたるプラットフォームを意味する」。
遣唐使
日本館に入るとまず目に入るのが、遣唐使や鑑真和上の渡日といった日中両国の長い交流の歴史を、あたかも動く絵巻のように生き生きと描き出した映像だ。歴史の先駆者たち一人一人がその心と信念で綴った物語は、千余年を経てなおも激しく人の心を打つ力を持っている。1300年前、日本からの遣唐使船が中日文化交流の第一次高潮をもたらした。この波打つような映像の絵巻は遣唐使時代を中心に、中国から日本へと伝わった文化がいかにして変化し、今のような形へと発展してきたのかを表現している。
日本館に展示されている遣唐使絵巻(繆暁陽 撮影)
調べたところでは、歴史を重視し、中日文化交流に多大な貢献のあった先駆者たちを記念するため、日本の角川文化振興財団が巨額を投じて「『遣唐使船』再現計画」を大々的に打ち出し、中国で遣唐使船を再現し、当時の船の大きさと構造を原寸通りに復元した。5月8日、日本の大阪港で、日本の学者が設計し中国の張家港市が製造したこの遣唐使船の出港式が行なわれ、6月12日には上海に到着、上海万博のジャパン・ウィークに出展される予定だ。
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