中国も高度成長がかなり長期にわたって続き、昨年らいの国際金融危機で、いくらか調整を余儀なくされたが、北京で暮らしているかぎり、その影響はそれほどでもないように思える。南の広東省あたりではその波をモロにかぶり、地方から出稼ぎに来ていた人たちの一部には一時、職を失う人たちも現れ、たいへんだったようだ。今年は第3四半期あたりから楽観的な観測をよく耳にするようになった。
この30年に及ぶ高度成長の中で、中国も大変貌をとげ、海外から訪ねて来た友人、知人は北京、上海の中心部では東京にいるのと同じようなものだよ、と言う人もいるくらいである。
私のように、計画経済期と市場原理導入期を経験してきた人間にとってはその変化の大きなことに驚きにひとしいものを感じ、「隔世の感」という言葉を使わざるをえない。
私がよく「世の中も変わったものだなあ」と嘆じるのは若者たちの職業観の変化である。
まず、私がよく出入りしていたビルにはファッション・モデルの派遣会社みたいなものがテナントとして入っていて、ときどきエレベーターで、ファッションモデルさんたちとはち合わせになることもあり、身長1メートル80センチもある娘さんたちの姿を見て、自分の若い頃のことを思い出し、まさかこんな変化が起こるとは思ってもいなかったジャーナリストとして自分の分析力、観察力もいいかげんなものだなあと反省している昨今である。われわれの若い頃は、もしも自分の子供がファッション・モデルにでもなればいいのだが、なんて言おうものなら、それこそ、「変人」と見なされかねなかった。それが今ではどうか。この娘さんたちの両親たちは、自分たちの娘を誇りとし、自分たちの娘を「高嶺の花」と見なして、鼻高々なのである。
中国人が世の中の移り変わりのはやいことを形容する言葉に「十年河東、十年河西」というものがあるが、まさにその通りなのだから驚きである。
一時期、エアラインのスチュワーデスの職業が大人気であったが、さいきん、私の友人などは「なんだ。あんな仕事はレストランのウェートレスを一寸かっこよくしたくらいのものじゃないか。自分の娘には、ああいう仕事についてもらいたくないよ。それよりもテレビのキャスターにでもなってもらいたいな」と言っている。エアラインの経営難などで、スチュワーデスの仕事も、一日二往復、三往復となり、家庭をもってからはたいへんらしい。
このところ、カウンセラーとか、心理療法士とかいう職業も大人気である。生活のリズムがますますはやくなり、不適応症に悩む人が増えていることも、原因の一つであろう。
さらには、弁護士の仕事も大人気。これは中国が法治社会に入ったことを示すものであろう。対外開放によって、WTOへの提訴とか、知的財産権をめぐる訴訟とかがそのニーズのもとといえよう。しかし、これは資格を取得するまでの長い道のりがあり、狭き門であることはたしかである。
そのほかに、ヨガ・スタジオのインストラクターとか、エステティックサロンのフェイシャリストとか、バーテンダーなども一部若者の間では人気があるが、見た目はカッコイイが、収入そのものはたいしたものではないらしい。
さいきん、私の子供の友人が、自分の子供はプロのゴルファーにしたい、という話をしていたので、古い考え方の持ち主である私はまた驚きの念を禁じえなかった。実をいうと、プロのビーチバレーの選手、プロのテニス選手などはもうとっくに存在しているのだから、別に驚くこともないのだが、われわれのような古い世代の人間は、すぐ賞金だけで一生食べていけるのか、ゴルフツアーでいつも賞金が取れるとも限らないのだぞ、と考えてしまうが、今の子供たちはそんなことなど深刻に考えていないらしい。
今の子供たちは、両親のほとんどが年金生活者、俸給生活者なので、両親の面倒を見る必要もないから、自分の人生だけを考えていればよいようだが、私のような古い人間にとっては、どうも危ぶなっかしいと思うのだ。
中国もどんどん変貌をとげ、人気職業のランク付けも変わってきているが、私はフリーターとか、ニートとかいう生き方には、どうも同感しかねる。もしかしたら、これは私の古さをさらけだしているのかもしれない。
今の若者はあくまで自分の感性にぴったりの職業につきたい、という考え方の人が多いようだ。こうした世の中の動き、世の移り変わりを見ていると、職業観の変化を痛感するのである。
私が携わってきた国際ジャーナリズムの分野の仕事も、計画経済期の頃は花形のひとつだったか、対外開放で競合する相手が増えたせいもあって、昔の光、今いずこの感がある。しかし、それでも「花形」の一つであることには変わりはない。とはいうものの、市場原理導入のもとでは、たえず自己革新しなければ、光源が薄れていくことも否めない。そういうことで、今の若者にはさらなるチャレンジを願うものである。切迫感があることはいいことだと思う。切迫感は前進と自己革新のモチベーションのもとといえなくもないからだ。私は人より繊細な神経の持ち主なのか、今の若者は私たちの若い頃より熾烈なサバイバル・ゲームにさらされているように思い、同情の気持ちをこめてこの人たちを見ていることも確かだ。
「チャイナネット」 2009年12月3日
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