中国の穀倉地帯の一つと言われる黒竜江省では、省内を流れる嫩江の水を灌漑用水が不足がちな一部地域へ導くための大掛かりな農地水利施設の建設が進められている。この大プロジェクトが完成すれば、黒竜江省の食糧生産量は大幅な増加が可能となる。これは国全体にとっても大きな意義を持つことである。
中国は少ない耕地で13億の人口を養うことに成功し、国際的にも高く評価されている。今年中国は建国60周年を祝ったが、この60年をふりかえってみると、食糧安全という問題に絶えず気を配ってきたおかげで、国民生活に大きな不安がもたらされることはほとんどなかった。かつての計画経済の時代の配給制という、今から考えてみると、不便な時期はあったが、全般的に見て一応のレベルの生活は保障されていた。改革開放の時期に配給制が次々と撤廃され、大、中部都市では「飽食」のために健康にマイナスとならないように、という考え方が脳裏に植えつけられるようになった。大、中都市では、腹一杯食べることより、よりおいしいものを、よりダイエットにプラスとなるものを、という時代になっている。
しかし、13億の人口がいるお国柄のこと、食の問題はいかなる時においてもおろそかにしてはならない、というコンセンサスはできている。一時期、建設事業の大発展のために耕地を農業以外の用途に使う傾向もあったが、さいわい、こういう将来のことを考えないやり方には歯止めがかけられるようになった。
テレビの映像を見ると、地球上にはまだ飢えにさいなまれている人たちがかなりいる。地球全体のこと、国全体のことを考えるならば、決して枕を高くしていられる状況ではないはずである。時々、一部地域で発生している自然災害の状況を見ても、国としてのストックが十分にあるおかげで、最短時間に緊急支援物資を提供することも可能となっている。さいきんの国際金融危機に際しても、中国のトップ層はゆうゆうとして対処してきた。これは十分な蓄えがある、という自信の表れであろう。
中国には、黒竜江省をはじめとする大きな穀倉地帯がいくつかある。これがすべて適切に確保されれば、国外のごく一部の評論家が前世紀80年代以来、何冊も本を出して、「中国には混乱が起こる」といってきた説は空論に終わることになろう。私も一介のジャーナリストとして、これらの評論家の書いた本に目を通したことがあるが、「オオカミが来るぞ!」という類の分析は、もちろん、「表現の自由」を侵害する気持ちはないが、学のある評論家のするべきことではない、とは思いながらも、中国のような人口の多い大国ではすべて着実に、慎重に事を運ぶべきという意味でこれらの評論家の言っていることも、「反面教師」の説として読んでいる。これらの評論家諸氏の分析を信じるならば、中国はとっくに混乱の渦中にあるはずだが、現実はかなり違うようだ。私の知人で、かなり中国に「批判的」であった日本人さえも、どうもこれらの評論家の言っていることは信用できないマユツバものだ、と言っているくらいである。
それでも、私としては次ぎの30年は中国が本当の意味で近代化を達成し、和諧社会を実現する肝心な時期だと見ている。そういう意味で、食糧安全の確保、科学技術の自主開発力の強化に真剣に取り組む必要があると思っている。
黒竜江省、河南省などでの穀倉が大発展をとげれば、中国は前出の国外の評論家諸氏の言うような「オオカミ」の吼える声を聞かなくて済むのである。
「チャイナネット」 2009年11月30日
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