さいきん、北京市のシンクタンクに勤務している知人から聞いた話だが、北京市は巨額の資金を投下して、市の南部の開発に取り組むことになったらしい。そして、北京市の動きを伝える新聞の記事も大々的にそのことを伝えているので、これはもう構想の段階だけの話ではないらしい。これはある意味では、人一倍伝統を重んじることでよく知られている北京っ子にとってはパラダイム・シフトにひとしい話だが、よく考えてみると、これは必然的な成り行きともいえる。
祖父の代から北京に暮らしていた人たちの話では、清朝、「民国期」という時代の推移の中で、北京では東城区、西城区あたりが発展をとげ、その後、新中国の時代になると、大学や科学研究機構がどんどんできたため、現在、北京のシリコン・バレーともいわれている海淀区が発展を遂げることになる。そして、天安門広場から南の前門あたりも商店街として栄えるようになった。したがって、数十年前の北京ではどの辺に住んでいるかによって、その人の「家柄」、「社会的地位」が分かるというくらいであった。現在、諸外国の金融機構が集中しているCBDエリアは、われわれの若い頃は農村地帯であった。それが今ではマンモス・ビルが立ち並び、国際的なビジネス区となっているのだ。そして、それがさらに東へと伸びるといわれている。
ところが、北京の南部といえば、そこに住んでいると聞いただけで、随分不便なところに住んでいるのだなあ、といわれかねない状況だった。改革開放の時代になって、大遊園地、浙江省の温州商人を主体とする繊維製品や日用雑貨のショッピング・モールができても、やはり立ち遅れているというイメージを払拭するには至らなかった。
都市計画の専門家の話によると、北京オリンピックにしても、かつてのアジア大会にしても、すべて北側で催され、人の流れ、市民の注目度という点でも、南部は割りを食ってきたといえなくもないらしい。
ところが、ここ数年の環状高速道路の完成などで、だんだんと変化の兆しが見えてきた。さらに北京―上海高速鉄道の完工も近く、北京南駅は一大交通ターミナルとなりつつあり、さらには北京に隣接する河北省には廊坊、固安などの経済開発区ができ、北京南東部の亦荘開発区とも高速道路でつながり、長期的にみれば一大都市圏が形成されることはまちがいない。そして、北京の第二空港の建設も取り沙汰されている。北京の南部には強力な上昇気流が吹き始めたことになる。都市軽軌鉄道が何本か作られ、高速道路が何本もできれば、北京の南部も大発展期を迎えることになろう。もちろん、インフラの整備、文化インフラの整備といったものは、数十年を必要とするので、長い目で見る必要があることもたしかだ。しかし、北京っ子がよく繰り返してきた「南城(都市南部)はだめだよ」という言葉は、だんだんと消えていくことになろう。
「チャイナネット」 2009年11月10日
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