この数ヵ月、雲嶺地域では、60年ぶりの深刻な干ばつに遭い、被害が引き続き広がっている。先ごろ、記者一行が深刻な被災地である雲南省曲靖市会沢県馬路郷岔河村へ取材に行き、現地の住民と一緒に数キロメートル離れた水源地へ水を汲みに行き、現地の住民の山を越えて水を汲むことの苦労を身をもって感じた。
3月7日朝、記者は馬路郷政府から出発した。車は上下に揺れて1時間半走った後、でこぼこな石ころ道のはずれに着いた。車を降りて30分歩いた後、村の住民が集まって住む所に着くと、住民が三々五々すでに水桶や水筒を背負い、家畜を追って山を下っていくところだった。「私たちはここから数キロメートル離れたふもとにある川沿いへ水を汲みに行っている。毎日三回、でないと家畜も育てられない」。村民の丁朝科さんは長女を連れ、小走りに記者のそばから走って行った。
村の住民の後について山を下ると、見たところ牛欄江は遠くないふもとにあるようだったのに、歩いてみるとかなり骨が折れた。曲がりくねった小道の勾配度はだいたい60度であり、多くのところが固い石や断崖であり、でこぼこで歩きにくかった。
山を下りる途中、水を汲みに行ってすでに帰ってきた住民たちに会った。中には、70代の老人もいたし、こどもいた。重い水桶のせいで彼らは腰をかがめており、そのまなざしを見ることはできなかった。一時間半の後、川沿いに着いた。水を汲み終わった村の住民はすこし休憩したり、ひしゃくで水を汲んでたっぷり飲んだりした後、数十キロの水桶を背負い、海抜1000メートル余りの川沿いから海抜1800メートル余りの村まで非常に注意深く歩いて帰った。「下りも大変だが、上りはもっと難しい」。記者は水汲みの住民と一緒に山を上ったが、両手でつかまらないと上ることができないところも多く、休み休み歩いて、二時間後にようやく村に帰りついた。
岔河村には40世帯余り、143人の住民がいる。住民の戴小普グループ長は、「日々の暮らしは天任せだ。雨季には雨水を貯水用の井戸に蓄えてかろうじて生活を維持しているが、今では、貯水井戸の水はとっくに干上がってしまった。毎日運んできた水は食事で使う分にしかならない。米をとぎ、野菜や顔を洗い終わった水はすべてむだにはできず、残しておいて家畜に飲ませたり、また農作物にやったりしなければならない。でないと収穫がまったくなくなるだろう」と語った。
70歳近くの楊雲秀さんは、今年の干ばつについて話し始めると思わず涙を流した。家の若い人がみんな出稼ぎに行ってしまったため、生活を維持するためには幼い孫に毎日水を背負って運んでもらうしかなく、農作物の収穫はすでにまったくなくなった。現在、村全体はすでに三ヵ月近く水を背負って運ぶことで生活を維持している。交通が不便であるため、大型の給水車は村に入ることがまったくできない。現地の関連部門は村の住民に水桶や掛け布団や救済金を寄付しているが、更なる根本的な解決法はさらに討論する必要がある。(新華社記者秦晴 撮影)
「北京週報日本語版」2010年3月18日 |