本誌記者 呂 翎
長く伸びてからまる緑色の蔓のようなト音記号と音符は、北京大学(以下「北大」と略)環境保護グループ「林歌」のシンボル・マークであり、青春の活力に満ちている。
「林歌」は北大都市環境学院の学生からなっており、北大の環境保全を含む持続可能な建設の一部分だ。グループ設立の初志は、「私たちが身につけた環境保全の専門知識で学生たちの生活を指導したい」と、グループの創始者である孫童君と範敬怡さん(2人とも北大都市環境学院の在学生)は言う。
植樹でごみを撃退
国連環境計画(UNEP)は09年9月に、「世界気候週間」において100万人もの中国の若者が参加する署名活動を行うよう中国大学生環境教育基地に依頼した。この教育基地のメンバーとして、孫童君と範敬怡さんは初めて一緒に活動し始めた。
「林歌」はこの2人や数十人の大学生ボランティアと大学教師の参画によって同年10月に誕生した。そのロマンチックな名称は範敬怡さんのインスピレーションによるものだ。
「林歌」は大学に立脚点を置き、「廃棄物回収―植樹造林」計画を立てた。学生寮を単位として行い、個人グリーン口座の開設で、日常生活から出た廃棄物の回収を奨励し、また「グリーン基金」を設立し、回収による収入を植樹やCO2排出削減に用いることで、キャンパスを「エコ・コミュニティ」に作りあげ、北大の持続可能な発展を実現させることが計画の趣旨だ。
範敬怡さんは「林歌は草の根からなった環境保護グループなので、学生と生活に密着している。まだ大学生である私たちは、技術手段でCO2の排出を減らすことは難しいが、木を植えることでCO2吸収源を増やしたりすることができる」と言う。
「林歌」は学生たちの注意を引くため、最近人気のゲーム「プラントVSゾンビ」の言葉を「プラントVSごみ」に変えて、ポスターに載せた。
「たくさんのゴミが出ている・・・
共同でそれに対抗しなくては、僕らの庭が占拠される・・・
サンフラワーのようにごみの中の太陽を集めよう
チャンパー(食人花)のようにごみの栄養分を摂取しよう
スノーピーになって、ごみのリサイクル、減少に努めよう
植物チームの結成を急いで、ごみを撃退しよう!」
「林歌」は若者たちが好きな形態で学生たちを引き付けている。試験実施の際には、1日だけで500キロのゴミが集まった。
09年11月13日、全国青年連合会主宰の「ホワイト&ブラック」をテーマとする全国大学環境保護コンテストが行われた。華北地区の決勝戦で、「林歌」のプロジェクトはそのアイデアの斬新さ、実行可能性や持続可能性、普及可能性を持っていることで、専門家審査委員とメディア審査委員に認められ、2ラウンド連続の最高点数で群を抜いて、全国の決勝戦に進出した。
孫童君と範敬怡さん
「林歌」の創始者である孫童君と範敬怡さんはともに1989年に生まれた「80後」(80年代に生まれた若者)の大学生だ。孫童君は「国際児童デー」の6月1日に遼寧省大連市に生まれた。芝生と広場で有名な大連市の環境は美しいもので、孫童君はそれを誇りとしていた。大学1年の時、選択
課目で「都市生態学」を選んだほどだ。だが、この課目の勉強によって、大連市の環境と都市計画に対するプライドが吹き飛ばされてしまった。「小さい時から芝生と広場が好きだった私は、芝生の水消費がひどく、広場が見かけはりっぱだが、実用の価値がないものだと、勉学を通じて分かるようになった」と孫童君は言う。
観念がすっかり覆ったことで、孫童君は都市計画と環境生態の知識にたいへん興味を持つようになってきた。「中国の都市計画はやはり立ち後れたものだと思っている。将来は学校で勉強した役に立つ知識を関連分野の仕事に運用できれば、環境の改善に役に立つことができるだろうと思う」と孫童君は考えている。
小学生から13年にわたって学級委員長を務め、高校の時には生徒会のリーダーにもなった範敬怡さんは、環境保護の面で掛け値なしのエリートだった。環境保全関係の仕事をしている父親の影響を受けて、小さい時から環境保護に非常に興味を持っていた。06年、広州市第6中学校で勉強した期間、「第4回“ITT”全国中学生(高校生)の水科学技術発明コンテスト」で、広州市1等賞をとり、同年にまた広州市の環境保護大使に選ばれた。07年7月、中国の“気候クール青少年大使(Climate Cool Chinese Young Ambassadors)団”の1員としてロンドンに行って学習と交流を行った。
「エコロジーは私たちの生命であり、それにもまして私たちの使命である」。範敬怡さんは中国大学生環境教育基地のパンフレットにこのような言葉を書いている。
|