林国本
さいきん、中国のメディアではよく、「ポスト80年代世代をめぐっての議論」を目にすることがある。つまり、さまざまな職場にさっそうと姿を見せ始めている前世紀80年代生まれの若者たちのことである。この世代の若者たちは個性豊かで、幅広い知識を身につけ、人生の楽しみ方も知っていて、まさしく世間の注目を引き付けるものを持っている。もちろん、これは大都市の若者のことを言っているので、農村部の場合はすこし違っていることも念頭に置くべきだが、とにかく、こういう若者世代が現れたことは、中国の将来を占ううえでも大いに参考となると言っても良い。
ちなみに、私が今もなおお手伝いしているメディアの分野では、2カ国語が堪能な若者がほとんどで、この若者たちのパフォーマンスを見ていると、私はいつもアメリカ民謡「オールド・ブラックジョー」の一節「若き日、早過ぎ去りぬ」を思い起こすのである。われわれの世代はもう年老いたのだ、と。
この若者たちがこれほど伸び伸びと成長を遂げたのは、やはり改革・開放という時代環境と切り離せない。「君たちは朝八時の太陽だ!未来は君たちのものだ!」という毛沢東の名言にあるように、20年後にはこの若者たちが社会の中堅となる日が来るに違いない。
この若者たちをどう見るかは、さまざまな視角によって違いもあろう。たとえば、日本では『中国新人類・80後が日本経済の救世主になる』(原田曜平、余蓮著)という本が出版されているが、これはこの世代の若者たちを消費生活の面からとらえたもので、面白い。大いに参考になる。
しかし、若者たちをどう見るかということは、政治学、社会学、哲学、心理学といった多角的な分析を必要とするものである。
私と触れ合いのある若者の中には、国際政治に非常に詳しく、中国の近代化、中国の国際的プレゼンスの向上、中国の強国化に一家言を持つ人もかなりいる。私はこういう人たちに注目したい。かつて旧中国を新中国に作り変えるために、数々の修羅場をくぐりぬけてきた毛沢東、周恩来も当初は20代の若者であったではないか。
中国もかなり豊かになった。若者たちがブランド品志向になるのも当然だと思う。かつて鄧小平が「社会主義イコール貧困ではない」と言い切った。若者たちが豊かさを存分に享受することはすばらしいことだと思う。もちろん、カードローン地獄にはまり込まないよう気をつけることも必要だが。
さいきん、知人が「そのうちにポスト90年代の若者がメディアの世界に入ってきますよ」と言っていた。私は第一線を退いてからも、メディアの一角でお手伝いをし、若者の感性のいいところを吸収しながらメタモルフォーゼを続けているが、サミュエル・ウルマンの詩にあるように「20代の老人もいるし、80代の青年もいる」。できればポスト80年代、ポスト90年代世代とともに、お手伝いを重ねる中で、クリエイティブな仕事を続けていきたいと思っている。
「チャイナネット」 2009年8月20日 |