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評論  
駐米大使、中米関係30年間の発展を積極的に評価

 

資料:中米国交樹立の経緯

前世紀70年代の初め、国際情勢の変化と発展に伴って、中米両国のトップは両国関係の改善が両国の共通の利益にかなうことをはっきりと意識した。

1971年4月10日から17日にかけて、アメリカ卓球協会会長のグレム・スティンホウェン氏を団長としたアメリカ卓球代表団が中国を訪問した。これは新中国建国以後初めて中国を訪問したアメリカの団体であった。アメリカ卓球代表団の訪中は、あらためて中米交流の扉を開けることになり、中米関係の発展のために幸先良いスタートとなり、そのため「小さなピンポンが大きな地球を動かした」「ピンポン外交」と称さた。

1971年7月9日から11日にかけて、ニクソンアメリカ大統領の特使、アメリカ国家安全事務担当補佐官のキッシンジャー氏が内々に中国を訪問し、ニクソン氏の訪中の地ならしをした。1972年2月21日から28日にかけて、ニクソン大統領は周恩来中国国務院総理の招きで中国を訪問した。毛沢東主席とニクソン大統領の太平洋に跨る握手は、中米間の20数年にわたる固い氷をを打ち砕いた。ニクソン氏の訪中の際に、中米双方は1972年2月28日上海で『中米共同コミュニケ』、つまり『上海コミュニケ』を発表した。コミュニケの中で、双方は重要で大きな変化と、きわめて大きな激動のさなかにある国際情勢を振り返り、それぞれの立場と姿勢をはっきりと述べ、共通の基本原則を確定した。しかし、まだ中米関係正常化の実現に至らぬうちに、ニクソン氏は「ウォーターゲート事件」のためにはやばやと失脚してしまった。次期大統領のフォード氏もさまざまな原因で中米関係の新しいブレークスルーを実現するに至らなかった。

1977年、カーター氏がアメリカ大統領となった。中国の地域と世界における役割が日増し重要になっている事実に基づいて、カーター政府は中国との関係正常化をその対外政策の主要な目標とした。1977年8月と1978年5月、カーター氏はそれぞれ国務長官のバンス氏と国家安全事務担当補佐官のブレジンスキー氏を中国に派遣し、中米関係正常化について中国側と協議を行った。1978年7月、中米両国の代表は北京で国交樹立についての交渉を始めた。台湾問題は交渉の肝心な点であった。1978年12月13日、中国の指導者鄧小平氏は北京でアメリカ側交渉代表のウッドコック氏と会見し、国交樹立に関する共同コミュニケ案について直接氏と意見を交換した。米側はその後改正案を提出し、基本的に中国側の要求を受け入れた。肝心な時点に、鄧小平氏は自ら交渉に参与し、中米国交樹立の交渉を数日間でまとめ上げた。

1978年12月16日、中米両国は『中華人民共和国とアメリカ合衆国の外交関係樹立に関する共同コミュニケ』、つまり中米国交樹立コミュニケを発表した。中米両国は1979年1月1日から相互承認するとともに外交関係を樹立することを明らかにした。コミュニケは上海コミュニケの中で双方が一致して同意している諸原則を重ねて言明し、そして1979年3月1日から互いに大使を派遣し、大使館を設置することを決定した。

「北京週報日本語版」 2009年1月9日

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