林 国本
先般、テレビの特集番組で、アメリカのウォール街の金融会社に職を得た中国人留学生が、友人たちの履歴書をカバンに入れて国内の金融会社を訪ね歩き、ウォール街でリストラされた知人、友人たちの再就職先を、あるいはその可能性または「転進」のプラス、マイナスを検討して歩いている、というものがあった。
改革・開放以後、いい意味でより多くの進んだ知識を吸収するために、雄飛の夢を描いて国外へ渡った人が大勢いた。その多くは一応「中産層」以上の生活ができるようになっているが、なかには、結局、住宅を苦労して買い、クルマを買い、あくせくしているうちに定年間際になり、一種の「諦観」のような気持ちに浸り切って、ケ・セラ・セラという心理で暮らしている人もいる。
ウォール街で職を得た人たちは「成功者」として羡望の目で見られていた。そして多額の年収、ストックオプションで、いよいよ夢が現実になろうとしている矢先に、サブプライム問題という大「天変地異」が起こり、デリバティ・ブ・チームごとリストラされてしまう人も出てきている。経済が再浮揚するまで再就職の見込みはない。
人間はいろいろな環境変動のなかで生きてきた。しかし、ウォーク街で年収数10万ドルの生活をたとえ短期間でも味わってきた人たちにとって、もう一度発展途上国である故国にUターンして、その10分の1、20分の1の収入で暮らしていくのは、たいへんな再適応を強いられることであろう。映像に出てくる人物も、それらしき感想を語っている。
筆者の知人の中には、国内でのジャーナリストの仕事を捨て、国外での“裕福”な生活を夢見て、「人生の旅」に出たものもいるが、結局、ほとんどは「青い鳥」を見つけることなく、「諦観」の中で晩年を送っている。そして、二代目は自分が中国人か外国人か分からない、アイデンティティの大きな揺れの中で暮らしている。三代目あたりからは、その社会に一応を根をおろした人たちが出てくることになるのかな。
中国側の会社のトップは、中国ではデリバティプはまだ学問としての研究段階にあるので、アメリカで実務の中でもまれた人材は大いに必要としているが、これは決してある野球チームから移籍して他のチームですぐ大活躍できる、という話ではない。たとえ、国内にUターンしても、「青い鳥」がはたして見つかるのかどうか。
いわゆる「自由経済の天国」アメリカで、スマトラ沖の大地震による大津波のようなものが起こるのは、ほとんどの人が思っていなかったたことはまちがいない。まさに万物流転、諸行無常そのものである。そのあおりを食らって世界各国で微調整、中調整が起こっている。
先般、日本を訪問したときに、日本人の書いたシティ・バンクの復活についての本を買ってきて非常に参考になった。もちろん、その本の後半にも、シティ・バンクの抱えるリスクについての言及もあった。それが今や「シティよ、お前も」という様相が見られる昨今である。GMとかシティとかはいわゆる「自由主義経済の国」アメリカの根幹をなす存在と言っても過言ではない。GMのトップ層が会議で「勧進」を請うテレビの映像も見た。なんとかなることはたしかだが、もうルーズベルトがニューディールの決断を下したご時世ではない。アメリカがどうこれを乗り越えていくのか、人類にとっても「再学習」の機会である。
再就職のチャンスを求めて行脚をつづけるわが同胞たちが「青い鳥」を見つけることを願ってやまない。筆者自身は頑固にも「青い鳥」は自分の足元にしかいない、と信じているが、要するに、自分が一生を賭けてもよいと思うほど、好きな仕事を見つけることこそが「青い鳥」だと思っている。もちろん、これは筆者のような一庶民の考え方かもしれない。こういうものの見方を人に押しつけるつもりはない。
今回のアメリカ発の金融危機で、人生のグランド・デザインが大きく崩れてしまう人もかなり出てくるだろうが、現代においてはもうこういうことは常識だろう。考えてみても分かるように、あれだけ世界的に有名であった日本の終身雇用制度も今ではすでに様変わりしている。したがって、ウォール街に職を得たからといって一生そのエスカレーターに乗っていけると思う方がまちがいである。昔の人は一生ひとつのことをやりつづけていれば、それで人生をまっとうできた。だが、ドッグ・イヤーズといわれる現代ではそうはいかない。さいきん、趣味がさらに広がっていろんな本を見ているが、そこで心にぐっーとくる言葉にぶつかり、ウーンとうなっている。ひとつは堺屋太一氏が「自分の一番好きなことを見つけることが人生だ」といっていること、もう一つは著者は忘れたが、現代に生きる人間は「アイデンティティを何回も修正しつづけなければ、時代の変化についていけない」ということ。リストラの嵐の中で、一度は「見限ったはず」の母国に「再適応」の道を探りに来た人たちの映像を見ていると、この人たちはこれからも「再再適応」をつづける人生が待っていることを知ってほしい、という気持ちになった。とにかく大津波に呑みこまれずに頑張ってもらいたい。
「北京週報日本語版」2008年12月2日 |