林 国本
中国がWTOに加盟したばかりの頃、知人の中にものすごく「急進的な」人がいて、もう中国の自動車産業、IT産業は全滅だ、と極言し、中国の銀行業も、もうダメだろう、自分はなんとかツテを頼って外資系の銀行におカネを預けることにする、と口角泡を飛ばしていた。
ところが、中国の自動車産業は土俵際でぐっと耐え、逆にじわりじわりと発展しており、IT産業も発展をとげつつあり、なにもそんなにあわてることはなかったのである。
筆者は、文筆業なので、外国の銀行にどっさり持ち込むほどの大資産家ではない。「自分を金持ちと思い込んでいる人間」には、われわれ庶民とは異なる心配事があるのだなあ、とそのときは思っていた。
ところが、突然いわゆる「自由主義経済」の親分格のアメリカで、サブプライム問題が起こり、ヨーロッパの銀行が破綻し、金融先進国と自任しておたアイスランドも、政府要人が一時的に借金を申し込みに行脚するテレビの映像が流れるようになった。
中国には新中国の建国以前、知識階層の中に外国かぶれのものがいて、「外国のお月さまは中国の月より丸い」と言っている、というジョークがよく話題になっていた。天文学の常識もない外国かぶれの愚かさを物語るジョークだろうが、今回のアメリカ発金融危機で、外国の銀行に預金を移すとものすごい鼻息で吹聴していた私の知人も、さいきんは口を閉じてなにも語らず、一部のお金を移した外国の生命保険会社名が新聞に出ないか、ハラハラ、ヒヤヒヤ、ドキドキ、ビクビクしている。われわれの年齢層は預貯金が紙と同然になったことを経験していないが、一世代、二世代上の人たちの話ではそういうことを実際に体験しているらしい。
今年のクリスマスは、アメリカやヨーロッパの一般市民にとっては、ジングルベルの曲が鳴り響くものとなるのかどうか。アメリカン・ライフスタイルの根幹をなす自動車産業はどうなるのか。冬はやがて過ぎ去り、春は遠からじ、と対アメリカ輸出が減少した零細玩具製造業者を励ます中国のトップ層の姿に感動したが、これからはもうすこし発想の転換を考えてはどうかと思う。つまり、一国のみを相手とする貿易にしがみついていないで、たえず商品のライフサイクルを念願に置き、たえず次の一手ぐらいは考えておくべきであり、貿易もできるかぎり全方位的で対アメリカ輸出がガタ減りしても、他の地域でその六、七割はカバーできるという布石を常におこなっておくことである。そして、さらに重要なことはブランド力の育成に全力をあげることである。
非常にミクロの世界の話で恐縮であるが、筆者のような文筆業者でもこの30年にどれだけ変身をとげてきたことか。中日友好万万歳、という記事を書くだけで、悠々とメシを食べてきた時代が、改革開放と、日本のバブルの崩壊、そしてごく少数の人たちのアナクロニズム的行動で、たかが文筆業、されど文筆業とでもいうか、その後、極端なまで、窮屈な外貨を使ってまでして金融、経済の書籍を買い求め、やっとのことでどうにか先頭集団の中に身を置いてきた。日本で東洋経済新報社「ごめんなさい!」を買うと、三冊ぐらいで一万円はなくなってしまう。もう仕事をやめて公園で太極拳なんかをやっているもと同僚たちの仲間入りした方がよっぼとしあわせではと思ったこともある。しかし、決意をしたのだ、倒れるまでフロンティアを開拓しつづける。
今回のハラハラ、ヒヤヒヤ、ドキドキ、ビクビクで、もう一度人生を考え直すことになった人がかなりいるのではないかと思う。中国もブランド力を育成しなければ、ふりまわされているばかりになる。すべて外国のものがよい、という愚かな考え方にお別れするいいキッカケになるかもしれない。
悲観的な予測は市場マインドに大きくひびくので、こういう時には「春は遠からじ」と人びとを励ますべきだが、今年のクリスマスは一体どうなるのか、クリスマス前夜の商戦はどうなるのか、サンククロースのおじいさんが閑古鳥の鳴く街をソリに乗って走る姿はみじめとは言えないか。もちろん、世界各国ではいろいろ措置がとれているので、すこしはよくなるのではと思っている。筆者はクリスチャンではないし、クリスマスを過ごしたこともないが、子供の頃の英語の勉強の時に「きよしこの夜」とか「ジングルベル」の歌を習ったこともある。宗教信仰の自由のある中国にはクリスチャンもいるし、欧米の生活習慣にも親近感を示す中国の若者たちもいる。今年のクリスマスが暗いものとならないよう願っている。すこしぐらい暗くてもいいじゃないか。イッキ、イッキとやるのもいいじゃないか。
「北京週報日本語版」2008年11月25日 |