南京大学日本語学部専家 斎藤文男
◇食にまつわる不思議いっぱい◇
“中国100年の夢”といわれた北京オリンピックが終わり、五輪後の中国の社会、経済の動向が注目されている。しかし、私が気になるのは、前回の当コラム2回目で書いたように、中国が獲得した金メダルの数に対して銀、銅が他国に比べて極端に少なかったことである。この不思議はパラリンピックにも共通していることだが、考察は別な機会に譲りたい。
オリンピック開催後は、食文化に関してもその国にさまざまな影響を与える。1964年の東京オリンピックでは、開催時に外国選手が食べたレタスなどの生野菜を食べる習慣が、日本でもその後急速に広まった。韓国では1988年のソウルオリンピック時には、犬肉を食べる習慣を欧米選手から批判され、犬肉レストランを裏通りに移転させたが、2002年のサッカーワールドカップ開催時には、犬肉を食べるのは伝統的な食文化だと主張するようになった。中国の食文化はオリンピック後、どのように変化するのだろうか。変化する前に中国の食べ物にまつわる不思議いっぱいを考えた。
南京市内でも売られるようになったゴボウ
「牛蒡」があるのに「ゴボウ」がない
「牛蒡」という漢字は中国語の辞典にちゃんと載っている。日本では漢字を書いてもほとんどの人が読めないので、スーパーなどでは「ゴボウ」とカタカナで表記してある場合が多い。漢字があるのだから、中国には昔から牛蒡があったのだろう。しかし、南京市内で私が見たのは3年ほど前からだ。それまではどこの店にもなかった。いつも野菜を買いに行く市場の片隅にゴボウが数本置いてあった。日本に輸出している生産者から、中国での消費拡大を狙って試しに置いてほしいと頼まれた、という。「1週間置いたが、売れたのはあなたが初めて」と言われた。泥がついた木の根っこのようなものを、一体どうやって食べるのか、中国の人は知らないのだ。一見木の枝のように硬そうなものが、食べられるという発想も浮かばないのだろう。
ところが、2年ほど前から南京市内の大きなスーパーでゴボウが売られるようになった。私は嬉しくなって毎回長いものを5、6本購入する。すると近くにいた人が必ず質問する。「これは何?」「どうやって食べるの?」「こんなもの美味しいの?」と、矢継ぎ早に聞いてくる。「ニンジンと一緒に油で炒めたり、煮物にすると美味しい。」「鍋の具でもいいですよ。」と答える。レジで並んでいると、私のカゴの中からゴボウを取り出して「何?これ!」「本当に食べられるの?」と手に取って吟味する人もいる。そばにいた人がさらに手に取って「なんだか随分かたそうだねぇ」と、不思議そうな顔で品定めをする。
他人が買ったものを、勝手にカゴから取り出してあれこれ言うなどということは日本ではまずあり得ない。しかし、ここは悠久の大地中国・古都南京である。この南京人の行為に対して、「無神経で失礼だ」と否定的に感じるか、「下町人間的な親しみがある」と肯定的に感じるかによって、中国へのイメージが大きく分かれるところだろう。「南京大萝卜」とダイコンに例えられる南京人の人柄について、思ったことを何でも言ったり、すぐに行動に表す純朴さを理解すれば、こんな行為にも親しみが持てるというものである。「日本では絶対にあり得ない」と、かたくなに自分の考えに固執していては、相手を理解することはできない。国際化とは、自分の考えや習慣とは違う相手を認めることから始まるのだと思う。
購入してきたゴボウのドロを亀の子たわしでこすり落とし、包丁の背で皮をこそげ取った後、ナイフで鉛筆を削る要領でささがきにする。千六本切りにしたニンジンと一緒に油で炒め、キンピラゴボウを作った。中国人の友人や宿舎となっている専家楼の従業員に振る舞ったら「美味しい」と好評だった。スーパーのレジで質問ぜめにした中国人にも味わってもらったら、きっと納得してもらえると思う。
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