なが年、外交、貿易、メディア、産業技術交流分野で活躍し、現在、ほとんどがリタイアしている人たちの中の熱心者たちの発起と、なが年、この分野で黙々と貢献してきた在日中国人元企業経営者韓慶愈氏の心からの協賛のもとで10月13日、北京で「老中日友好クラブ」の初懇親会が開かれた。定款とか、寄付行為とかいう面倒なものをつくる公式の団体ではなく、平たく言えば、一年に一度ぐらい会って食事をしながら楽しく過す「メシ会」、「懇親会」のようなものだが、初会合の雰囲気は、どうしてどうして思い出話に花が咲き、時間オーバーとなっても話が尽きなかった。
筆者にとってとくに深い感銘を受けたのは韓慶愈氏のあいさつ兼思い出話だった。なが年中日友好、中日科学技術交流のお仕事にたずさわってきた氏の話は、ご本人が三日三晩続けても話し尽くせないと言っているように、聞いている筆者にとっても三日三晩聞いていたい話だった。まさに草の根の中日友好交流史そのものであった。筆者もこの分野でメディアの一員として働き、リタイア後も、現役時代よりにぎやかで面白い仕事をしているので余計興味津々たるものがあった。
韓慶愈氏のたずさわってきた多くの仕事の中でひときわ光っていたのは、日本の学者たちの品質管理の知識を中国に紹介したことである。
筆者は、特派員として日本に長期滞在していた時にも、日本の品質管理に非常に興味を覚えたが、なにしろメディアの仕事が忙しくて、自分でいろんな書籍を見て知を磨く以外、それを中国に紹介する余力もなかったし、能力もなかった。ただ、中国がもし日本人のように品質管理を重視するようになれば、日本のように経済大国になることはむずかしいことではない、と思っていた。昔の中国は陶器とか、象牙細工、刺しゅうなどの面で、世人をうならせる精緻なものをつくり上げてきたが、近代工業の時代になってからは完全に世界の流れから立ち遅れてしまった。そのため、韓氏の話には人一倍深い感銘を受けた。
日本にも「老日中」という懇親グループがあり、筆者が特派員時代にお世話になった鉄嶺会の米山さん、元東京都日中の坂田さんもそのメンバーの一人で、何回か北京で会ったことがある。将来、日本の「老日中」が訪中旅行に来られたときには、みんなでまた会おうというのも、われわれの願いである。
人間の一生の中で、中日友好、日中友好という全身全霊で打ち込まれる事業にたずさわることができたのは、しあわせなことだと思っている。筆者はもと上司や先輩のおかげで、今でも日本と関連のあるメディアの世界の一角で楽しみながら頑張っているが、自分としては生ある限り続けていくつもりである。
懇親会で先輩や仲間にお会いできて本当にうれしかった。北京も近代化で都市再開発が続き、もと仲間たちも遠くへ引っ越したりして、ほとんど会う機会がなくなってしまった。会ってみると、自分を含めてかなり加齢したようで、白髪が増えたり、動作がにぶくなっている人もいたが、懇親会の席ではみんな東京に滞在していた頃の顔にもどっていたようだ。
なにしろ高齢者、後期高齢者の懇親会なので、発起人たちは教え子や日本に留学したことのある若い人たちにも、連絡係として参加してもらい、世々代々の中日友好を念頭に置いているようだった。80年生まれの女性記者も参加していた。これはこの懇親会の生命力を示すものと言えよう。
「北京週報日本語版」2008年10月15日 |