諸行無常とか、万物流転とかいう表現がよく日本の古典に出てくるが、要するに筆者たちが若い頃よく学習していた、「世の中のすべては発展、変化する」ということであろうが、昨今は国際金融情勢の波乱含みの動きで、一大波乱の模様が毎日報道されている。
もう過去のこととはいえ、日本の「失われた10年」とかいうものを経験してきた一人として、また世界の金融センターで、一大波乱が起こり、まさにかつての日本の「住専」問題の拡大版の様相を呈しているのを見て取っている昨今である。国際ジャーナリズムの分野の一角で暮らしている筆者にとって、日本のバブルの崩壊も、今回のサブプライム・ローン問題も、スケールこそ違え、本質的には同じものと見ているので、やはりなが年の習慣で、大いに関心を持っている。もちろん、現役のジャーナリストたちはさらに真剣味をもってこのテーマに取り組んでおり、その波及範囲、波及の度合いについていろいろ議論されている。
筆者は、金融についてはズブの素人だが、第一線を引退しても、まだ第二線で楽しみとしてジャーナリズムの一角で「遊んでいる」ので、アメリカのインベストメント・バンクやFBRなどについても、もうそんなにこだわらなくてもいいのに、いろいろ資料に目を通している。
筆者はアナリストでもないし、ストラテジストでもないので、一家言を持っているような発言は控えるべきだが、デリバティブとか、証券化ビジネスにはリスクがつきものであるのは自明のことと考えている。ごく簡単なデリバティブや証券化ビジネスのテキストにさえ、リスクについてちゃんと一章が設けられているではないか。ましてや、リーマン・ブラーザーズという横綱クラスの証券大手のことだから、それこそロケット工学を専門とする理工科系のドクターや、金融工学のスペシャリストが何百人もいたはずである。そして、コンピューターを駆使して、われわれ一般の人間には到底理解しえないような仕組みをつくり上げて、デリバティブ商品を次々と組成し、一攫千金をねらっていたのであろう。しかし、この世界はそんなに甘くはない。デリバティブで多数の人間が一夜のうちに億万長者になれるというのなら、なにも毎日8時間働きつづけるホワイトカラーなんかになる必要はなかろう。ある日本の雑誌で目にしたことだが、「株式評論家」で億万長者になった人はいない、と書かれていた。億万長者になっているのなら、なにも証券新聞に「銘柄分析」などを書きつづけて、原稿料を稼ぐ必要はあるまい。南太平洋の島の数千平米の別荘でも買って、のほほんと暮らしていればよいのだ。
だいぶ前のことだが、ノーベル賞の経済学賞を受賞した学者も参加しているヘッジファンドの会社がつぶれてしまった記事を見たことがある。つまり、証券化ビジネスは、いくらリスクに注意!と言われても、それを組成する人はやはり、想定通りに行けば大儲けできる可能性をも選択肢のひとつにしていることは多言を要するまい。テレビの株式評論番組で、アナリストたちが口角泡を飛ばして、チャートの分析なども加えて熱弁をふるっているが、テレビの映像の下のところにはちゃんと「株式投資にはリスクは」つきもの、投資する方はあくまでも自己意識を「お忘れにならないように」というキャプションが入っている。要するに、この世界はこういうものなのである。
筆者が特派員として日本に長期滞在していた頃、中国人記者団が当時の「山一証券」の招待で、本社を見学をさせてもらったことがある。懇切丁寧な案内、説明は今でも記憶に残っている。「山一証券」は中国ビジネスも視野に入れていたのか、中国語で書かれた債権関係の本もおみやげに頂いた。その「山一証券」もその後、自主廃業し、姿を消してしまった。
今の金融波乱も、やがてはなんらかの形で終束することであろう。しかし、「市場経済」であるかぎり、こういうことは今後も起こりうるのである。チェック・システムの強化とかが強調されているが、かつてイギリスの「女王陛下」の銀行がつぶれてしまったときから、そう叫ばれていた。だが、一攫千金、巨額のストック・オプションという誘惑が存在するかぎり、リスクに呑み込まれるケースはこれからも生じないとは言えない。住宅ローンは証券化しないとインベストメント・バンクの経営が成り立たない、という宿命があるからだ。
改革、開放30周年を迎えた中国も国際化がますます進んでおり、こうした「津波」の被害をこうむらないよう、今回の「対岸の火事」を教訓とすべきであろう。
この金融波乱はもうヨーロッパにも飛び火している。金融業の宿命で、おカネを寝かせておくことはできない。そんなバカなことをしていたら、従業員の給料も払えなくある。デリバティブ商品を次々と組成して世界的範囲で売りさばく以外にないのである。そういう訳だから、いったんこげ付けば全面崩壊ともなりかねない。波乱は決して一国だけのことではなくなる。前世紀30年代の大恐慌を経験しているアメリカのことだから、なんとかこの大波乱を乗り切るだろうが、身売りして消え去る金融大手もまだまだ現われてくるだろう。
本棚の「山一証券」版の中国語で書かれた債権関係の本をながめながらこの一文を書いた。これらの本は筆者にとっては骨董品としての価値のあるものである。
「北京週報日本語版」2008年10月9日 |