林国本
さいきんは、いろいろなメディアで、「オリンピック効果」なるものが話題として取り上げられている。今、メディアの第一線で活躍している記者、キャスターは70年代、80年代生まれの世代なので、用語、表現も中国の改革、開放いらい、国外からどっと入ってきたものが多い。たとえば、ポストモダンとか、ポスト・オリンピックとかがそれである。それがまたすぐに流行になるところが、中国の進歩と言えるのかもしれない。
筆者も、人生二毛作、三毛作論というものに大いに興味を覚え、実績はともかく、一応日常生活をそういうシステムに組み換えているので、フーコーとか、デリダとかいう人たちの著書も知識として勉強しているので、若者たちの言っていることはよく理解でき、時代の流れについていこうとする彼らの努力に敬意を示しているが、要するにポスト・オリンピックなんていうファッショナブルな表現も、一般庶民の言葉に置き換えるならば、「オリンピック以後」ということになるわけだ。筆者は若い頃にフランス語を少しかじったことがあるので、この人たちよりそういう流行語をたくさん知っているつもりであるが、筆者の世代がそういう流行を追ったりしていると、先輩たちに「奇をてらっている」のでは、と見られるので、なるべく、庶民の分かる言葉を使っているのだが……。
大きな出来事がその後の社会にもたらすであろう影響は、中、長期的に見れば、社会学者、社会心理学者たちなら、一冊の本が書けるものであるが、ジャーナリスティックな眼で見ると、少なくとも次のいくつかを上げることができよう。
一、国民の国際的視野がぐっと広がったこと。これは大国としての中国にとっては、大きな無形資産である。これは今後さまざまな面でプラスの効果をもたらすにちがいない。近代国家として国際化というものを正しく取り込んでいくことは、大人としての中国のヒノキ舞台へのデビューをさらに促すことになろう。もちろん、あるひとつの傾向の裏に、他の傾向が潜んでいる、という思考にも配慮する必要がないわけではないが、「オリンピック効果」をプラス面に誘導していくことが主ではないだろうか。
二、スポーツ施設のみか、北京その他のオリンピックに協力した都市のインフラの発展は、ポスト・オリンピックの経済・社会に大きなプラス効果をもたらすことになろう。北京では、同時の何本かの地下鉄、高速道路、バイパスがつくられ、かなり便利になった。将来的には公共交通システムを主とする都市づくりの可能性も見えてきた。これだけ世界に注目される国になったのだから、「スモッグの町」という「汚名」をこれを機に返上することを考えてはどうか。以前は郊外県と言われていたところに、「副都心」をつくり、そこへの軽軌鉄道をつくり、ベッドタウン化を進める、という話もある。
三、セキュリティーの面でも、一応成功したと言えよう。これは新しい学習効果と言える。9・11以後、空の便による旅行でのセキュリティー・チェックが非常に厳しくなり、どこかの国のように「靴を脱げ」と言われるレベルにはまだなっていないが、実に面倒なことになったものだ。
四、環境保全意識、アメニティーに対する意識の向上などソフト・パワーの面でも向上のきっかけをつかみ取ったような気がする。
五、食品衛生意識の向上。
スペースの制約からすべてを上げることは控えるが、とにかく、オリンピックとパラリンピックを主催したことは、プラス効果のあるブレークスルーだったと思う。
そろそろ、秋の重要会議で次の30年のグレード・アップが討議されることになるが、もうその動きが見られる。持続可能な発展を確保するためのいろいろな戦略的措置についての議論がメディアにも散見されるようになった。考えようによっては、それほどむずかしいことではないと思う。
WTO加盟当時、「オオカミが来るぞ」と懸念する人も一部にはいた。中国の自動車産業は「壊滅的な打撃」を受けるかもしれない、と言っていた人もいたが、「壊滅」どころか、大発展をとげているではないか。小売業もそうだ。ビジネス・モデルをどんどん吸収して近代化しつつある。第三次産業を上手に発展させていけば、雇用の創出も徐々に改善されていく。
筆者は、こう考えている。食糧安全、石油資源の確保と省エネ技術の開発、各省、自治区、直轄市に環境保全の指標を小分けして達成させること、適切な規模の国防、社会保障施策の逐次実施などをおろそかにしなければ、中国が「混乱」すると予測し、それに期待をかけている人たちにとっては、また、失望のみが残ることになろう。そういう意味で、オリンピックのプラス効果をどんどん増大させていくことが不可欠だと思う。そして、中国の高度成長を好ましく思っていない、ごく少数の人たちが「マイナス」と見ていることを「芽」のうちに摘み取っておくことである。
「北京週報日本語版」2008年9月18日 |