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中日関係の30年  
日本の経験が参考になる中国経済の方向転換

  

北京大学 蕭琛教授

中国経済の30年にわたる方向転換の道のりは、事実上、絶えず、「縦方向の協力」を減らし、「横方向の協力」を増やしてきた道のりでもあります。日本経済も「失われた10年」から抜け出してきましたが、ちょうどそのプロセスとよく似たところがあります。ただ、後者のほうが、市場経済のシステムがすでにわれわれよりも先にできていたため、より成熟した段階にありました。

30年の改革開放を経てきて、今、中国は完全に国際経済のシステムに組み込まれる時を迎えています。中国経済は一連の新たな厳しい試練に直面しているわけです。

われわれは、かつて安い労働力に頼って、中国を名実ともに“世界の工場”に仕立てることができました。しかし、今は、中国の住民の生活水準が上がり、特に近年の“労働合同法”が公布されたことによって、中国の人件費の安さはすでにそれほど顕著ではなくなってきています。

また、中国の国際貿易条件の悪化と人民元の元高により、中国の貿易黒字の増幅も下がりつつあります。

われわれは、かつて、相対的に独立した金融環境を持っていました。国有商業銀行の貯金と貸し出しの利率の差によって、国有企業の財務と収入分配におけるさまざまな難題を解決してきました。

しかし、今は中国のWTO加盟に伴う金融過渡期の終焉によって、数十箇社の外資系銀行が相次いで中国に進入してきており、中国の銀行と平等な競争を展開しています。

われわれは、かつて、相対的に独立した投資市場を持っていました。国の計画によって経済資源を分配することができました。しかし、今は、A株市場が大きく揺れ動き、香港株直通車が今にも発車しそうになり、QFIIの規模が加速的に倍増するにつれて、中国の株市場はすでに周辺市場及び世界市場の動きを伺わざるを得なくなっています。

中国の資本通帳がまだ開かれていないものの、数千億ドルと言った世界のホットマネーが何百何十といったルートを通して中国になだれ込むことが可能なのです。「中国を空っぽにする」というのはすでに単なる脅威ではなくなってきています。

近年の中国の株市場は、ファストブルからスローブルに変わり、最近はスローベアからファストベアにまで変わってきています。

長い間、われわれは巨額の外貨準備高を有していることをひそかに喜び、誇りに思ってきました。しかし、今は、国際市場におけるドルの売り出し戦略と世界の流動性過剰の新しい局面を前にして、中国の思わぬ損失は痛ましいものです。アメリカへの投資収益率はたったの5%前後しかありません。その一方、アメリカ企業が中国及び世界市場から35%以上の利潤を得ることができるのです。

中国がドルの準備高を一番多く持っていたときは、ちょうどドルがどんどん安くなりつつあったときなのです。世界の石油価格が異常に高騰していた時は、ちょうど中国が工業化を進めるために大量に石油を購入していた時です。世界の食糧価格が高騰しつつある時は、ちょうど中国が国内のインフレ対策に悩まされていた時です。

もっと困惑させられる試練は、人民元の切り上げ問題だといえるでしょう。国際経済システムへの組み込みには、自国通貨と外貨準備高の通貨のレートがある程度相対的に安定したレベルに達していることが必要です。このレートは、双方の購買力平価(PPP)の対比を表すものであるだけではなく、双方が世界の通貨システムにおける影響力と実力の対比を表すものでなければなりません。人民元のレートにとってバランスが取れたレベルはどこにあるのか、急上昇させるのか、緩やかに上昇させるのか、どのように対応策をとっていけばよいのか、広く衆知を結集しなければならない課題がまだまだたくさんあります。

他山の石、以ってたまをおさむべし。日本には、円高に対応してきた経験があるため、われわれが大いに参考とすべきです。

まず、人民元の場合と同じように、日本円の切り上げへのプレッシャーも、アメリカをはじめとする国際金融勢力から来ていました。20世紀80年代は、アメリカが経済の苦しい調整から、知識経済へと方向転換し始めた時期です。当時、アメリカの製造業は、世界の貿易システムにおいて、日本の強烈な競争力に遭遇していました。1985年の「プラザ合意」と1987年の「ルーブル合意」によって、国際主要通貨のレートは急速に変えられました。なかでも、最も重要な新たな動向が、日本円の大幅な切り上げへの圧力でした。そうすることによって、日本の製品の価格の優位性を抑えようとしたのです。

また、円高に対応するための日本の発想と取った措置も、われわれにとって参考になります。国際的な圧力を前に、日本は恐れなかっただけではなく、冷静になって考え、検討することができました。わずか2年間の間に、日本円対ドルのレートが240円対1ドルから、120円対1ドルにまでなったことがあります。感心させられるのは、そういった日本にとってたいへん厳しいレートであるにもかかわらず、日本が依然として高い国際競争力を粘り強く保つことができ、国際市場におけるシェアを固く守ることができたことです。

それから、円高を巡って、日本が取った政策的な措置もわれわれにとって、戒めとなります。円高に歯止めをかけるために、日本は貨幣の緩和政策を取りました。銀行は外貨市場において、干渉を行い、代価を惜しまずにドルを買い込み、日本円を売り出しました。しかし、結果的には、日本円の流動性過剰をもたらし、日本の不動産と株市場においてバブルが現われ、膨らんでいきました。

最後に、円高によってもたらされた10年間の不景気という痛い教訓もわれわれにとって参考とすべきです。

不景気のきっかけとなったのは、90年代初めのバブルの崩壊でした。直接的な結果として表れたのは、資産価格の大幅な下落であり、不動産を資産として担保していた銀行のローンの大部分が不良債権となりました。銀行は、自身の財務状況の改善と不良債権の増加防止のために、貸し出しを渋り始め、そうした銀行の貸し渋りが、さらにローン危機を引き起こし、日本企業が資金調達難に陥り、大幅に投資と支出を抑えるしかありませんでした。

資産価格の大幅な下落は、住民の富をも大幅に縮ませ、消費者に消費不安をもたらし、未来の不確定性をもたらしました。消費税の値上げは泣きっ面に蜂でした。住民の消費意欲がそれによってさらに抑えられたのです。

日本政府のバブル崩壊後の探究精神もわれわれが見習うべきです。膨大な不良債権を前にして、日本政府と民間機構は、クリエーティブに一連の財政金融措置を取っただけではなく、東アジアへの間接的な投資モデルを深く反省しました。政府、銀行、企業が三位一体となった縦方向の協力が、グローバル化と情報化のこの新しい時代において生き返ったのです。

歴史には驚くほどの相似点があるものです。昨日の日本経済はまさに今日の中国経済であるといえます。われわれには、謙虚になって日本に見習わない理由はどこにあるのでしょうか。そして、中国がこれまで勝ち取った成果には日本の貢献がないと言えるでしょうか。

さらに感心させられるのは、日本の方の学習上手であるところです。遣唐使の歴史的な美談はともかく、江戸時代にポルトガル人が日本を遠征してきました。そのあと、カトリック教が伝わり、日本文化に「西洋学」の要素が増えました。明治維新後に、日本では、第二次西洋文化ブームが起こりました。日本政府は視察団をアメリカに派遣し、何がアメリカをここまで強くしてきたのかを探らせました。視察の結果、アメリカの特許制度だとわかり、必死に真似して追い抜こうと努めました。苦労の甲斐があって、20世紀80年代後半には、日本人によるアメリカでの特許申請件数がアメリカ人によるそれを超えていました。

現在の世界経済は、自然資源、製造業と民族国家を重んじる国別経済時代から、知識資源、ネット産業とグローバル社会を重んじる国際経済時代に変わりつつあります。この新しい時代において、他に見習い、他を参考にすること、革新、交流、協力と協調(福田総理の北京大学での講演の中の言葉)、がますます重要になってくるでしょう。隣国日本の成長過程、経験と教訓とその探求精神は、特にわれわれ中国人にとって、深く考えるに値し、参考にすべきであります。

「北京週報日本語版」2008年8月

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