本誌記者 張 毓英
2008年8月12日は「中日平和友好条約」締結30周年の記念日であり、7月30日、この中日関係史上の重要な出来事を記念する「中日平和友好条約締結30周年記念、改革開放後の中日関係に関するフォーラム」が北京で開催された。同フォーラムは人民日報海外版、世界出版社、北京週報社、中国・日本商会によって共催されたもので、その主旨は改革開放以来30年の中日関係および中日関係の世界での重要な役割を検討すると同時に、ここ数年来に両国関係と経済貿易協力面で遂げた大きな進展を分かち合うことにある。フォーラムには中日両国の専門家、学者ら各界の代表100人余りが出席した。
フォーラムの会場 カメラ 王 祥
宋健全国政治協商会議元副議長、中日友好協会会長がフォーラムに祝賀メッセージを送り、詹国樞人民日報編集委員、海外版編集長が挨拶を行った。
中日両国は一衣帯水の友好的な隣国であり、深い歴史と文化の源と広範な共通の利益を持っている。1978年、鄧小平氏が東京を訪れ、中国政府を代表して日本政府と「中日平和友好条約」の批准書を交換し、これにより1972年の中日国交正常化声明が法的に確認され、中日両国の世々代々にわたる友好の基調を固めた。同条約が締結されて30年、中日両国は互いの国の経験を参考にし、共に協力しあい、アジアないし世界の平和と安定に貢献してきた。
安倍晋三元首相の「氷を砕く旅」、温家宝総理の「氷を溶かす旅」、福田康夫首相の「迎春の旅」を引き継ぎ、今年5月に胡錦濤主席は「暖春の旅」として日本を訪れ、10年ぶりに中国の国家元首が再度日本に足を踏み入れ、日本国民に平和の情報を伝え、両国の長期的に平和を守る戦略構想と協力の枠組みを携えて行った。
30年来、中日両国は政治、経済、文化などの分野で交流、協力の喜ばしい成果をあげた。統計によると、1972年の両国の貿易額はわずか10億4000万ドルであったが、2002年には1000億ドル、2006年には2000億ドルを上回り、2007年には二国間貿易額は引き続き二ケタの伸びの2360億ドルに達し、中国は日本の第一の貿易パートナーとなり、日本は中国の第三の貿易パートナーとなっている。現在、中国駐在の日本企業数は2万社を上回り、従業員は約1000万人に達している。ここ数年来、中国企業の対日本投資も増加し、双方の企業間協力は日ましに緊密化している。
今年は中日青少年友好交流年でもあり、青少年は民間外交の主力軍として、両国青少年の交流はすでに全方位、各方面、広分野で行われ、2006年1月から2008年4月まで、5000人近くの相互訪問が実現され、中日青少年の交流は盛んに発展している。
講演する北京週報社の王剛毅社長 カメラ 王 祥
フォーラムでは、駐中国日本大使館の和田充広公使、北京週報社の王剛毅社長、世界知識出版社の高樹茂社長、中国・日本商会の石館周三副会長がそれぞれ挨拶し、北京大学の蕭琛教授、清華大学の劉江永教授、富士通の専門家・渡辺誠氏が特別講演を行った。和田充広公使は挨拶の中で「日中関係の実務に携わる者として、今年の胡錦濤主席の訪日を通じて達成された得難い成果を大事に、且つ大きく育てていきたいと心から願っています。今後とも、新しい時代に新しい日中関係の発展のために尽力していきたいと思います」と述べた。
同フォーラム開催をひかえ、北京週報社は数人の日本人と中国人を対象に「中国といえば、日本人としてまず何をイメージするか」、「日本といえば、中国人の頭に浮かぶ言葉は」というアンケートを行った。その結果、日本人は「中国は歴史が古く、土地が広く、人口が多い、悪い点はこの前起こったギョウザの問題」とし、中国人は「日本は礼儀正しく、電気製品が良い、効率が高い、悪い点といえば戦争」と答えた。
北京週報社の王剛毅社長は講演の中で「以上のアンケートから見ると、中日両国は国民の相互訪問を通じてもっと理解を深めなければならず、国民間のさらなる交流が必要である。北京週報社はマスコミ・メディアとして、全面かつ客観的な報道を通じ、中日両国国民間の相互理解と友情を促進するために引き続き努力をはかりたい」と述べた。
席上、中日両国の専門家、学者は、中日平和友好条約締結以来30年で両国が政治、経済、文化などの分野であげた成果およびこれからの発展について意見を交わし、今回のフォーラムの開催が中日両国国民間の相互理解、交流と協力を増進し、中日間の世々代々の友好を促進するために積極的な役割を果たすにちがいないとの考えを示した。
「北京週報日本語版」 2008年8月1日 |