
二王廟には多くの回廊があり、 その梁の上には「深淘灘、低作 堰」の六字訣が刻まれている |
李氷が築いた「宝瓶口」は、 岷江の流れを都江堰市や川西 平原に引く。写真下側が分水 施設の「飛沙堰」 |
李氷をまつった「李氷殿」では、二人の若い婦人が李氷の塑像に線香を供えていた。その姿はつつしみ深く、李氷へのあつい崇拝の念がうかがえた。この外側の回廊にも同じ六字訣が刻まれていたが、殿内の壁には、古代人の治水経験を石に刻んだ三字訣、八字格言がはめ込まれていた。さらに行くと、李氷の後代に都江堰を維持、修理した人々を称えた「堰功祠」があり、中には三国時代の蜀の名宰相・諸葛亮の名前もあった。当時、諸葛亮は都安堰(今の都江堰)を視察して、「この堰は、蜀の農業の命脈だ。わが国(の存亡)は北伐を支持し、中原を平定することにかかっている」と語ったという。また1943年、アメリカの大統領補佐官・フォレスタルは、中国と共に結んだ「反ファシズム侵略同盟国」の代表の一人として訪中し、抗日戦争の銃後となった都江堰を視察して、「都江堰は、中国の誇りだ。それはわれわれが共にファシズムに打ち勝つ、大きな支えとなるだろう」と語っている。
二王廟の前門を出て、岷江にかかる安瀾索橋を渡ると、そこが金剛堤だった。堤の両側には丸石が整然と築かれており、古代人の労苦のほどがしのばれた。金剛堤の南、飛沙堰のそばからは、とうとうとした内江の流れの中に、李氷が築いたダム「離堆」の雄姿が見えただけ。というのも降雨の後で、水かさが増していたからだ。さかまく怒涛は、離堆によって二分され、一方は東側の灌漑用水路に引かれ、もう一方は排水用の水路に引かれていた。
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