古代の人々が、都江堰の治
水のために用いた道具。木
柵(上)と石堤(下) |
1500年前に建立された二王廟。今は、李氷父子をまつっている |
都江堰風景区にある東岸の高台にのぼると、都江堰の河口が三つの部分からなるのがわかった。北部には、分水用の中州・金剛堤の先端となる「魚嘴」があり、岷江の流れを二分していた。中部には、岷江の流れを内江・外江に分ける長さ一キロもの金剛堤が横たわり、その南側に洪水を押し流し、土砂を排出する施設「飛沙堰」が施されていた。南部には、用水路への流れを自動制御する役割の「宝瓶口」があった。李氷が民を率いて築いたもので、その壮挙にはただ感服するのみだ。高台から北へ降りて、李氷父子をまつる祠堂「二王廟」を訪れた。
二王廟は、山のふもとにそびえる敷地面積5万余平方メートルの建築群だ。山頂から下りつつ、まず訪れたのが二王廟の後ろに構える主殿「老君殿」である。今も道観の役目を果たす二王廟には、道教の多くの神々がまつられていた。建物の外に設けられた回廊を歩くと、頭上の梁には、李氷の治水経験をまとめた六字訣「深淘灘、低作堰」(灘を深く淘い、堰を低く作る)が刻まれており、とりわけ人の目を引いた。
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