成都市の華西病院には、被災地の負傷者が連日救急車で搬送されてくる。22日午後、人々は、救急車で運ばれた負傷者に応急処置を行う医師のうち、数人が日本語を話していることに気がついた。被災地での日本の国際緊急援助隊による不眠不休の捜索の感動的な物語が地元メディアに大きく取り上げられ、多くの市民が彼らに感謝の念を抱いていたため、この日本の医療チームをあの勇敢な援助隊と勘違いする人も多かった。
日本の援助隊が任務を終え帰国する前日の20日夜、日本の国際医療チーム23人が、被災地に必要なポータブルレントゲンや血液検査キットなどの医療物資を携えて成都入りした。医療チームは成都第1病院と華西病院を視察した後、華西病院で6月1日まで負傷者の治療に協力することを決定した。22日午後には、救急診察室、ICU、血液透析室などで多くの日本の医療スタッフが活動を始めた。
救急診察室の王一平主任は「医師に国境はない。日本の友人の支援に感謝している。ここ数日、医療スタッフの多くが激務に追われ、担架を運ぶ人手すら足りない状態だった。天津、唐山、北京、香港の医療チームが支援に来ているが、日本の医療チームが加わることで、他の医療チームの負担も大幅に軽減されるだろう」と述べた。
日本の医療チームの田尻和宏団長は、日中双方の決定により派遣されたことを紹介したうえで、「ただ時間が余りないことが、中日双方にとって試練だ。中国政府が救援活動で示した迅速さと透明性は称賛に値する。今回の日中間の救援協力は非常に有意義なスタートであり、今後は細部の調整も改善されるだろう」と述べた。
「人民網日本語版」2008年5月23日 |