21日14時30分頃、什ホウ金河一級発電所の作業現場で、重症を負った同発電所作業員の崔昌会さんが地震発生後216時間ぶりに救出された。新華社のウェブサイト「新華網」が伝えた。
什ホウ金河電力有限公司の呉平・総経理助理によると、地震発生時、什ホウ市紅白鎮にある什ホウ金河一級発電所の2カ所の作業現場には計21人の生存者がいたという。うち6人は重傷を負っており、最も傷が重かったのは、崔昌会さん(32歳)だった。
地震発生後、7人の生存者は次々と歩いて下山し、政府に被災状況を伝えた。什ホウ市は、救援隊30数人を現場に派遣した。しかし、道路が遮断されたため、目的地の方位が正確に確定しづらく、救援作業は難航した。
作業現場で生き残った唯一の管理職・李均氏は、被災2日後、生存者は食料を探すため、歩いて3キロ先の第2作業現場に行くことを決定したと当時を振り返って語った。そこに食糧が少し残っている可能性があったからだ。
土砂の地滑りで腰に傷を負った崔さんが歩けないことから、皆は彼女を比較的に安全な場所に移動させ、その場しのぎの雨よけを作り、目印に破れた赤い電気毛布を上部に掛けた。彼らに最後に残されたリンゴ2個とナシ1個を、その時唯一動かすことができた崔さんの手に持たせた。彼女と親しい同僚2人がその場に残り、彼女に付き添うことに決めた。しかし、崔さんはそれを頑なに拒否した。「私のことはいいから。ここにいたら死ぬのを待つばかりよ。あなたたちは行って、生きて」と言い張った。同僚2人は目に涙を浮かべ、その場を後にした。
18日になり、救援機が第2作業現場に救援物資を空中投下した。1人の同僚が危険を顧みず、14時間かけて山道を登り、崔さんに食料を運んだ。「彼女はとっくに帰らぬ人となっていると思っていた。まさか彼女が生きていたとは、喜び以外の何物でもない」李均氏は記者に対し、電話の向こうで嗚咽しながらこのように語った。
21日13時頃、救援用ヘリコプターが崔さんの待つ場所に到着、医療関係者がただちに崔さんを診療した。腰椎と上腕骨の骨折以外の外傷はなかった。現場での応急処置を終えると、彼女をヘリコプターに乗せた。15時頃、成都華西病院に到着、救援治療に移った。この時点で、彼女が被災してから216時間が経過していた。
現在、崔さんの身体状況は良好という。
「人民網日本語版」2008年5月22日 |