ラサのラモチェ寺(1978) ラサのラモチェ寺は、チベット語では「ギャダラモチェチョラカン」といわれ、ハンホゥ神が変身した経蔵寺という意味で、「ラモチェ」と略称されている。ラモチェ寺はチョカン寺以北約800メートルの所に位置し、敷地面積は4000平方メートル。7世紀の中葉に、トバン王朝はチョカン寺を築造する同時に、このラモチェ廟もつくり、その設計と施工はすべて文成王女が自ら主宰したのであり、唐からはせ参じた漢族人職人がそれにたずさわった。ラモチェ寺とチョカン寺は同時に着工され、同時に完工し、同時に開眼を行った。ラモチェ寺の正門は東向きで、王女と随行の人たちの遥か彼方の故郷のお年寄りたちへの思いがこめられていた。この寺は唐の建築様式と規格をまねて造られたもので、主な建築物は入り口、経堂、仏殿の3つの部分に分かれ、周りは転経回廊で、回廊の壁には宗教物語の壁画がたくさんある。1694年いらい、毎年のチベット暦2月になると、いつもここで5世ダライラマの円寂を記念する祈祷法会が催された。
著名なラサ上密院もラモチェ寺の中に設けられ、これはゲル派(黄教ともいわれる)の僧侶が密乗(秘教の考え)を修得するところである。上密院の経典に深く通じたラマ僧がラモチェ寺の住職を兼任した。ここで修行する僧侶は「ラマジュバ」と称された。そして経典を修了したあかつきには、ガンデン寺のシャズェ法王に昇進する機会に恵まれる。
このほか、ここに来て修行した僧侶の中には数多くの中国のほかの地方の漢族の僧侶と外国の僧侶もいた。
ラモチェ寺とチョカン寺はいずれも西暦7世紀いらい保存されてきた文化財であり、ラモチェ寺の最初の規模はチョカン寺とほぼ同じであったが、のちにラモチェ寺は何度も破壊をこうむり、もとの建築物はほとんど姿を消し、20紀50年代の中期に、作者が目にした寺の建築物の多くは明代(1368-1644)以後に再建されたものである。(写真・陳宗烈)