チソンデツェンの時代に、トバン(チベット)を非常に富み栄えた。このチベット王は武功を尊び、かつて長期にわたってシルクロードにある安息の4つの鎮(町)を占領したばかりか、甥が挙兵しておじさん(母親の兄)を攻め、公然と唐の「安禄山・史思明の反乱」に乗じて唐の都の長安城を攻め落とした。 唐史の中にこのような記録があり、『敦煌版のトバン歴史文書』の中にも、トバンの大将軍ザダルゴンが「精鋭部隊を率いて都に攻め込み、都は陥落し、唐の皇帝は逃れ、新しい君王を立ててからトバンの 精鋭部隊は帰っていった」という描写がある。ラサに石刻の方尖碑1基があり、碑文はザダルゴンの戦果を記載しており、この石碑は今でもポタラ宮広場の北東隅に立っている。
西暦775 ─787年に、仏教を信仰するチソンデツェンはインドのリェンホァセ大師をチベットに迎えて仏の教えを伝えてもらうとともに、自ら主宰してチベット最初の正真正銘の仏陀寺、つまり仏陀、仏の教え、僧侶という三大要素をもつサンイェ寺をつくった。
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