ネイマ派のミンチュリン寺は、清の康煕10年(1676年)に5世ダライラマに仏教の経典を授業する師のデダリンパが築造させたものである。 1718年にかつてチベットに攻め込んだ蒙古のジュンガル軍に焼き払われたが、すぐ再建された。 この寺の主は父と子あるいは舅と婿によって受け継がれてきた。昔、西康、青海の各地の比較的大きなネイマ派寺院の僧侶の多くはここでチベット文字の書道とチベット医薬および暦学数学などを修行として学び、この寺の僧侶たちは華麗なチベット文字の書道で名を知られていた。
ネイマ派はチベット仏教の古い教派である。この派は、「河川が雪山を源とし、仏の教えが仏陀を源とするもので、仏教のすべての教派の根はいずれもお釈迦さまという仏教の祖であり、各派の仏になる道が異なるだけである。キャンデーを食べるように、どっち側から食べてもすべて同じように甘い」と見ている。ネイマ派はリェンホァセ大師を祖師とし、現世で成仏することを主張し、旧密法をさらに発揚させた。ネイマ派の修行の方法はズリョ道修行法といわれている。その中では、成道について多くのことに論及しており、例えば修行の目標は成仏であるが、成仏する過程に速いかそれとも遅いかの問題があり、そのうち近道を選んで修行することができ、中国の他の地方からラサに来るように、一歩一歩歩いてくることもできれば、車あるいは飛行機に乗って来ることもできる。各教派が選んだ成道の方法は同じではなく、まさに1つの目標に向かう人たちが進むスピードに緩急があるため、到着する時間にも早いか遅いかの問題があるように、成道にも早いか遅いかの問題がある。
しかし、ネイマ派の信者は散らばっており、内部にそれぞれの伝承がある。
ネイマ派のチベット仏教史における地位と歴史は最も古く、それゆえに「旧教」と言われている。この派の僧侶はすべて赤い袈裟を着て、赤い帽子をかぶっているため、一般に「赤教」と言われている。(写真・陳宗烈)