ゾンカバの弟子のゲドゥン・ドゥバはある大貴族の資金援助のもとで、12年間をかけてこの寺をつくり、全称は「タシルンポビェジデチェンタンジェロナムバジェワリン」で、タシルンポ寺と略称されている。寺は山を背に築造され、宮殿は隣接して入り乱れ、雄大かつ壮観で、ツァン・チベット西部にあるゲル派の最大の寺であり、中国のチベット仏教ゲル派の六大寺院の1つでもある。タシルンポ寺が完工した後、ゲドゥン・ドゥバは初代の住職となった。1600年、4世パンチェンのロサン・チュキギェルツェンは寺を拡充した。その後、タシルンポ寺は歴代のパンチェンの住所となり、各世代のパンチェンはいずれもタシルンポ寺に対し修繕と拡充を行い、次第に今の規模のものとなった。タシルンポ寺の主な建築物には、パンチェン寝宮、パンチェンカンプ(ラマ僧)会議庁(ツァン・チベット西部地域のパンチェン所属の行政機関)、本経堂およびシャズェ、ギェカン、トサンリン、アバの4つのザツォン(僧院)、62のミツン(僧侶の本籍地によって集まる組織機構)、60の仏堂と霊塔殿がある。寺全体には僧侶の住居の建物がたくさんあり、僧侶は最も多い場合4000人以上に達した。清の乾隆時代以後、タシルンポ寺にはまた「皇帝陛下、万歳、万歳、万万歳」という位牌が祭られるようになり、そしてもっぱら位牌を祭る仏堂──「ギャナラカン」(漢族地域の仏堂)をつくり、毎年のチベット暦の新年になると、パンチェン大師および多くの高僧は、皆ここに来て参拝式典を催し、これによって清王朝の皇帝に対する従属関係を示した。
チベット黄教の四大寺の築造により、ゲル派には支柱と本拠があることになった。各地の領主からの幅広い扶助を受けて、僧侶の数は日ましに増え、急速にチベット仏教最大の教派となった。(写真・陳宗烈)