西暦10世紀から13世紀にかけて、チベット地方は奴隷制社会から封建社会への移行期にあった。13世紀中葉からチベットは正式に中国の中央政府の管轄下に置かれ、これまでの歴代の中央政府はすべてチベットに対し実際に基づいて各省の特色のある主権管轄を実施した。チベットの「政教合一」の封建農奴制度は確立、全盛と衰退の歴史的過程をたどり、20世紀中葉になると腐敗・没落の段階に入った。
封建農奴制度はチベットで千年余りも続き、2つの貧富の差がきわめて大きく、社会的地位が対立した階級が現れた――総人口のわずか5%しか占めない農奴主階級(農奴主とその代理人という2つの階層を含む)、それは政府、貴族と寺院という三つの面を指し、チベット語では「ションゲチュスゥム」といわれ、一般には三大領主といわれ、彼らはチベットのすべての土地、山林、牧草地帯、家畜と農奴を占有し、きわめてぜいたくな生活をしていた。だが、総人口の95%を占め、労働で社会の主要な富を作り出していた農奴階級はすべてを剥奪され、飢えと寒さにさらされ、人間としての基本的な権利と尊厳は少しも保障されていなかった。彼らはいつも自らの理想と願いをまぼろしのような来世に託す以外になかった。
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