ポタラ宮は最初、西暦7世紀のトバン王朝のソンツェン・ガンポの時代に築造され、もとの名称は「赤山宮殿とりで」(チベット語では「ポズォンマルバチズェ」といわれていた)。長年にわたって風、雨、雷、稲妻や戦乱の破壊をこうむって、旧い宮殿はとっくに存在しなくなっていた。清の初期に至るまで、5世ダライラマとデバ・ギャムツォはその拡充工事を主宰し、ついに現在の雄大な規模をもつに至った。清初期の拡充の際に、康煕皇帝は全国各地から何人かの有能な職人を選び、チベットに行って拡充工事に参加させる勅命を下した。20世紀 80年代いらいの空前の規模をもつ2回の補修工事にはさらに多くの民族の専門家・学者と技術者が参加した。ポタラ宮は中国古代の多くの民族の名匠の知恵と心血が凝集したもので、中華民族の文化の宝庫である。千年来、ポタラ宮は奴隷制社会、封建社会と社会主義の新しい時代を経て、チベット地方と中国のほかの地方とのなが年緊密に結び付いた切っても切れない歴史と文化の結び付きおよびチベットと漢族などの諸民族との「誰もが互いに離れることができない」深くて厚い友情を目にしてきた。
ポタラ宮は、世界じゅうに名の知られる雄大な宮殿である。それはすでにユネスコ(国連教育科学文化機関)に正式に「世界遺産リスト」に組み入れられ、内外に名を馳せるラサのチョカン寺とロブリンカ(庭園)はポタラ宮建築物群の拡充プロジェクトとして正式に「世界遺産リスト」に組み入れられた。(写真・陳宗烈) |