13世ダライラマは新政を推し進め、一部の貴族はそれに呼応し、上層部のfKR社会で活躍した。そのうち、リーダーであったのはチャリン一族であった。この一族はシッキムの王室から来たものである。昔、シッキムはチベットの属領であり、皇室の人にはラサに行って官僚になる伝統があり、ガシャ(チベット政府)も彼らに領地を与えた。この世代の頃には、シッキムがイギリスとインドに占領されていたため、故郷に帰りにくくなった。チャリン・ジンメイはいっそのことラサに定住した。チャリン・ジンメイはこの世代の長男で、大貴族ツァユン家の4番目のお嬢さんリンチェンチョマさんを妻として迎え、ツァユン家と婚姻によって親戚となり、ダライラマに4級の官職を授けられた。彼の思想は比較的に開放的で、また多芸多才であった。彼は真っ先に郊外区で庭園風の別荘をつくり、しかもラサにおけるファッショナブルな婦人服をデザインする先駆者となり、彼がデザインして作った「チャリンニャンシャ」と名付けられたきれいな女性用金花帽子が速やかに普及し、それから「バチュ」といわれる旧式の帽子をかぶる女性は少なくなった。以前、ラサの女性が使っていたエプロンは幅が広くて長いものであったが、彼はあらたに短くて狭いエプロンをデザインし、非常に上品で美しく見えるものであった。彼はよく写真や映画を撮り、当時ラサでは、彼は最新の流行を追い求める人物であったと言える。(写真・陳宗烈) |