ドガ・ポンツォロジェさんの別名はロガサ・ポンツォロジェであった。ラサでは、人々はみな彼をロガサと呼んでいた。これは大貴族に対する呼称であった。以前、チベットの貴族はよく荘園の名称を自分たちの苗字とし、あるいは自分の邸宅の名称を自分の名前の前につけていた。「ドガ」は彼の家の荘園の名で、「ロガサ」は彼の家のラサにある住宅の名称であった。彼の官邸はチョカン寺の南側に位置し、チベット風の3階建てのとりでのような建物であった。
ドガ一族の旧チベットにおける地位は非常に高かった。考証によると、彼はトバン王朝の宰相ルトンツァンの子孫で、祖先はかつて次々とラサ北部のダルン、ポンド、リュンズフなどで行政・宗教の権力を握っていた。
彼はチベットの著名な愛国人士、 中国人民解放軍の高級将官である。平和解放以前、チベット地方政府の四大ガロンの1人、チベット軍総司令官であった。平和解放以後、チベット自治区準備委員会委員、中国人民解放軍チベット軍区副司令員となり、階級は中将であった。(写真・陳宗烈) |