写真はラズェゾンのとりでである。「ゾン」の本来の意味はとりで、要塞であった。1358年、ギャンチュギャルツェンがチベット王になった後、一連の改革施策と法規を公布し、そのうち後世への影響が最も大きなことは「ゾン」(県に相当)を創設し、サキャの時期の万戸制を取り消し、13の「ゾン」を設置し、それ以前の13万戸に取って代わった。それぞれのゾン(県)にベンゾン(県知事に相当)を設けた。ラズェゾンの地理的位置は非常に重要で、ヤルツァンポ川上流の水上交通の起点であった。ラズェから出発して、5日間でシガズェに到着することができ、それから更に東へ中流のチュシュゾンまで航行し、ギェチュ(ラサ川)がここでヤルツァンポ川と合流し、更に流れに沿って下り、最後はヤルツァンポ川の大きな湾曲部の近くに直行することができる。(写真・陳宗烈) |