Imprimer cet article

Commenter cet article

元駐日特派員林国本さんの眼  
北京第二外大での学生たちとの触れ合い

                                      林国本

先般、北京第二外国語大学側のご高配で、日本語を学ぶ院生、本科生たちに、筆者なりの個人的体験にもとづく語学学習のノウハウみたいなものについての話しをする機会に恵まれた。

実をいうと、いわゆる経験とかいうものは、まったくその人個人のモデル構築のプロセスをふりかえるものだけのことであり、決して他の人たちに生意気にも開陳して参考にしてもらうものではない。これは私が頑固なまでにこだわりつづけていることでもある。

しかし、遠方に見える山頂に登攀するため、夢やロマンを胸に抱く若者たちに私の悪戦苦闘とまわり道の話の中から、たとえひとつでも参考になるものを発見してもらえば、と思って、あえて厚かましくも段階式教室の壇上に立った次第である。

私が日本語を使う国際ジャーリズムの世界に足を踏み入れたのは前世紀60年代のことで、当時の中国を囲む国際情勢と大きな関連があった。当時は中国はまだ計画経済の時期にあり、今の若者たちのような学習環境はなかった。今の若者たちはしあわせだ。だが、そのためか選択肢がたくさんあって、ひとつのものに絞り込むことが難しいようだ。今はやりの言葉でいえば、アイデンティティーの確立が難しいように思える。われわれの頃は外資系企業もなく、留学することも不可能に近く、鞍替え(トラバーユとかデューダとか)も、リスクが大きすぎることであった。そのために、私のようにひとつの道にしがみついて、コツコツと歩みつづけることが最善の選択であった。)

私たちの若い頃は外国語が一応できるか、あるいはかなり上手だ、という人は、よっぽどのつむじ曲がりである以外、とにかく、この分野で頂点に登りつめることは、それほど難事ではなかった。先般、私はある大物と五つ星ホテルで朝食をする機会があり、雑談の中で、私はその大物に、「ボクたちの若い頃は楽でしたよ、とにかく朝出勤してまず、竜井茶をゆっくりすすり、いくつかの日本の新聞、雑誌に目を通し、一日一つか二つの記事に手を加えるだけで、週刊誌の職場であったせいか、仕事のサイクルを上手につかみさえすれば、読書の時間もかなりあった。ところが、今の若者は朝八時半に職場に駆けつけ、仕事の中では「評務評定」が厳しく、大部屋システムなので雑談なんかしている雰囲気でもなく、ましてや日々記事を入れ替えるネット新聞になると、クリック率の競争でストレス一杯。月刊誌の仕事でも、単行本の仕事でも、ボクたちの頃は原稿を渡すのを一日遅らせてもお目玉を食らうことはなかった。さいきんは、心理療法士とかいう職業が人気となり、ウッから、自閉症、ひきこもりとかいう新しい症状についての記事が増えているくらい猛烈な競争社会になっている」と言ったことを覚えている。

そいうことで、私たちの時代のノウハウを話しても、今の若者には一体どれだけの効果があるのか、と思いたくなるのだが、ひとつだけ私が強調したのは、どんなに大きな変化があっても、基礎だけはしっかり身につけることが不可欠ということである。

さいきん、ある本で著名なギタリストがこう述べていた。一応、簡単な楽曲を弾けるようになるには、10年は必要だろう、人前で演奏できるようになるには、20年はかかる。名手となってフットライトを浴びるスターになるには30年と。まったくそのとおりだと思う。

今の若者たちはカッコよさを追求するものが多い。しかし、カッコよさの裏にどれだけの血のにじむような努力、もう、やめちゃーい、という挫折感とのたたかいがあることを知ろうとしないようだ。とくに日本語を使う世界で、狭い分野でもいいからトップクラスの域に達するにはたいへんな苦労の蓄積が不可欠である。

私は凡人であるので、人一倍の努力をしてきた。そして、かなりのたのしみを捨ててまで頑張ってきた。自己宣伝が大きらいなので、ひとつだけ例を上げると、私は日本の経済をジャーナリストとして一応知っておくために、アメリカのFRB(連邦準備制度)についても独学で勉強した。銀行の不良債権などを知るためにもかなりの独学をした。そのために費やしたお金は、マイカー一台買えるくらいである。つまり、変化の激しい環境に生きる人間はたえず、新しいコンテンツの開発を欠かすことはできない、ということである。コンテンツの開発をやめれば、いや、その苦労に耐えられなくなれば、その辺の公園で毎日太極拳でもやっているしかない。その方がはるかに楽だ。そういう人たちが99%以上を占める。

今の若者たちに言いたいことは、まずは中国語と日本語の勉強に人一倍打ち込むとともに、願っても願わなくても経済のグロバリゼーションは進んでおり、英語の勉強も不可欠である。日本語の外来語に不慣れのために挫折した人も何人かいる。市場経済の時代であるからには、サバイバル・ゲームは避けて通れない。

そして、若者たちに、余計なおせっかいかもしれないが、フリーランサーとかフリーの仕事に憧がれるのもよいが、自分のセーフティー・ネットの構築も忘れないように、と言っておきたい。ルイ・ビトンのハンドバッグをぶらさげて、全国各地を同時通訳として飛び回れるのは、50代止まりであろう。それに加えて子供を育て、博士の学位を取得させるまでサポートするとなると、いくつかの戦線での悪戦苦闘を強いられる。

しかし、どう見ても今の若者たちは私たちよりしあわせだ。私たちの時代は日本の平凡社の百科辞典を虫がねを持って、最初から最後まで通読するという、今から見ればナンセンスのようなことまでした。今の若者は電子百科辞典のキーをポンとたたけばOKである。それにもかかわらず、私は時代錯誤と言われても、頑固に言いつづけたい。日本語の一生懸命という言葉のように、コツコツと、従弟奉公のような努力の積み重ねがなければ、「芸の道」の頂点に立つことは不可能に近い、と。

いくつかの大学で日本語の勉強をしている人たちに、いつもこういう話をしている。もちろん、私のようなやり方に同意しない人もいる。その人たちのやり方もモデル構築のひとつかもしれないからそれも参考とすべきだ。そして自分のやり方、自分の道を発見することだ。

「北京週報日本語版」2008年4月16日

北京週報e刊一覧
トップ記事一覧
インフレは依然、経済最大の潜在的懸念
「タイガーマザー」論争、どんな母親が優れているのか?
中国、水利整備を加速
潘魯生氏 手工芸による民族文化の伝承
特 集 一覧へ
第7回アジア欧州首脳会議
成立50周年を迎える寧夏回族自治区
現代中国事情
中国の地方概況
· 北京市  天津市 上海市 重慶市
· 河北省  山西省 遼寧省 吉林省
· 黒竜江省 江蘇省 浙江省 安徽省
· 福建省  江西省 山東省 河南省
· 湖北省  湖南省 広東省 海南省
· 四川省  貴州省 雲南省 陝西省
· 甘粛省  青海省 台湾省
· 内蒙古自治区
· チベット自治区
· 広西チワン族自治区
· 新疆ウイグル自治区
· 寧夏回族自治区
· 澳門特別行政区
· 香港特別自治区