当時、人の往来は高い水準で行なわれ、首脳レベルの相互訪問はもちろん、日本の天皇も歴史的な中国訪問を果たした。交流の規模は大きく、友好都市の交流は言うに及ばず、日本の青年3000人が北京に集った。接待する条件がまだ整っていなかった中国にとっては、天皇訪中と3000人の青年訪中は、史上、前例がないものであった。
今世紀の初め、中日関係は「氷結期」になり、私もその中にあった。私は東京の中国大使館でスポークスマンとして、交渉や論争に忙しく、目が回るほどだった。この時期の中日関係をまた中国語の四字熟語で喩えれば、「風雨飄揺」(情勢が非常に不安定なこと)と呼ぶことができる。
歴史問題や台湾問題など、中日関係の政治的基礎に関わる古い問題が同時に爆発し、東中国海の油田・ガス田開発などの、かつては問題でなかったことも問題となった。あたかも「毎年毎月、事件が起こり、どれもこれもがみな難しい」というような状態だった。「30年間苦労をしたが、靖国参拝で正常化前に戻った」という言葉で、当時の両国関係の悪化を形容した人さえいる。
この2回の駐在経験のコントラストはあまりにも強烈である。だから私は他の人よりも、今日やっと手に入れた両国関係の好転を身にしみて深く感じており、中日関係が早く、健全で安定した良性の発展軌道に乗ってほしいと、切実に感じている。
中日関係が相互に良性の、安定した発展目標を実現するために、我々は何をしなければならないのか。両国政府がすでに合意した共通認識と暗黙の了解以外に、我々は過去の経験と教訓の中から「大きな知恵」を引き出し、中日関係にひとたび問題が起こったときに、「小さな処方箋」を書かなければならない、と私は考えている。
君子の心で相手を量れ
人と人、国と国の付き合いはみな、相互信頼が関係の安定の基礎である。中日の間でとくに強化する必要があるのも、この点である。地理的、歴史的、文化的背景が違うので、中日両国の間には少なからぬ差異が存在している。両国関係が順調に発展しているときには、互いの共通点を見つけ出し、異なる点は残しておくことができる。しかし、何か問題が起き、直ちに妥当な処理ができないときには、往々にして互いに相手の腹を邪推し易い。
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