国務院新聞弁公室七局の王ヒ君・副局長は国防部外事弁公室で8日、中国に駐在する50カ国以上の武官70人余りに対し、西蔵(チベット)で起きた暴力事件の真相を説明し、「ダライは長年にわたって、国際情勢と中国の国際的地位の変化に伴い、西蔵問題に対する言い方をさまざまに変化させてきた。ダライの言葉がどのように変化しようとも、それが嘘であり西蔵独立をねらうものだという本質は一貫して変わっていない」と述べた。
王副局長はまず、「ダライはここ数年、『西蔵独立を考えたことはなく、憲法の枠組み内で西蔵問題を解決したい』と語ってきた。だがそれは事実だろうか。ダライは「3.14」暴力事件の発生後、『北京五輪の開催にもボイコットにも反対しない』と述べたが、ダライの言行は一致しているだろうか」と疑問を投げかけた。
王副局長によると、ダライは1960年から2007年まで、いわゆる「民族蜂起記念日」の声明を毎年3月10日に発表してきた。声明の中では、「西蔵はかつて独立した国家であった」という主張が強調され、蔵(チベット)族と漢族の関係-については、「蔵族は蔵族で、漢族は漢族。違う民族だ」との立場が示されてきた。「これは疑いなく民族関係を挑発し、民族衝突をそそのかすものだ」と王副局長は語った。
また王副局長によると、ダライの言い分は時代によってさまざまに変化してきた。中国の発展状況が良好でなく他の国の封じ込めを受けていた頃、ダライは西蔵問題について中国政府と和平交渉を行わないと主張していた。しかし中国が安定した急速発展を遂げ、国際的地位も向上して国際社会の承認と重視を受け始めた1994年から2007年の間には、ダライは態度を軟化し、「青蔵鉄路--は環境を破壊するものではない」とか「西蔵の発展を中国抜きに果たすことはできない」などと語ってみせた。王副局長は、「ダライの西蔵問題に対する態度は、中国の国際社会における役柄と影響力に常に関係しており、ダライの日和見主義を示すものだ」と述べた。
王副局長はさらに、「ダライの声明はもともと、その西蔵独立に向けた立場を直接的に反映するものだった」と述べた。例えばダライは「活仏を制するということは寺を制するということだ。そして寺を制することは地区を制することとなる」としている。これはダライが、政治的な支配の道具として、分裂活動を進めるための手段として宗教をとらえていることを示している。
王副局長は最後に、「これらがすなわち、蔵族の僧侶がなぜ暴力事件に参加したかについての、国際社会が理解していない真相だ」と強調した。
※王ヒ君氏の「ヒ」の漢字は、上が「不」、下が「一」。
「人民網日本語版」2008年4月9日
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