林国本
渡辺明次さんはもとは日本の一高校の教諭であったが、2002年に定年退職後、北京外国語大学国際交流学部(現中文学部に留学し、2006年に本科を終了した。その時の卒論は大学側から優秀論文賞が授与された)は、中国の「ロミオとジュリエット」と言われてきた『梁山泊、祝英台の真実性を追う』であった。のちに、これは渡辺さんの「梁、祝」三部作の第一弾となり、第二弾として翻訳『小説、梁山泊、祝英台』、第三弾『梁祝口承伝説集』もつづいて出版された。
中国では戯曲とか、越劇のレパートリーとして、この物語が人気であるし、著名な交響曲もある。筆者のルーツは浙江省なので、子供の頃から食卓で父がいつも感動をこめた表情でこの物語りを聞かせてくれたのを今でも覚えている。浙江省では、みんなこの物語を知っている。しかし、それはどうしても断片的な知識の域にとどまるものでしかなく、渡辺明次さんのように、論文、さらには三部作にまでまとめ上げた人は、中国でもまだ聞いたことがない。渡辺さんは今や「梁祝」文化研究所所長という肩書をもつ、れっきとした中国文化、民俗、説話文学の民間の研究家として、「梁祝文化」の紹介に取り組んでいる。
そして、今度はさらに地平の向こうに見えていたもう一つの伝説、説話文学の「孟姜女口承伝説」を研究テーマとして、普通の人ではとてもできないフィールドワークのような作業を重ねて、この伝説と関連のある地域をたずね歩き、それに詳しい人たちの話を聞き取り、とうとう「孟姜女口承伝説集」にまとめ上げた。
筆者は中国北京の「国家図書館」で、よく日本の新刊書を読んでいるが、その際しばしば日本の学者、教授の著書や若き学徒たちの博士論文にも目を通し、その労作を感動しながら、読み、その感動をテコとして、自分なりのフロンティアの開拓に努めているが、その時に気がついたことは、ほとんどの著書、出版物のあとがきには、「どこそこの基金の協賛に感謝するということばが印刷されているのである。つまり、こうした学術的な書物は出版社としても背負いきれないので、なにがしかの助成が不可欠だということである。渡辺さんのプライベートなことに触れて申し訳ないが、年金暮らしである渡辺さんにとって、自費出版に近いやり方ではたいへんなことであろう。中日両国関係の相互理解を深める上で、新しい可能性を切りひらいた渡辺さんをサポートする基金が現れることを願う。また、渡辺さんの著書を中国語に翻訳して、多くの中国人に知ってもらうことによって、21世紀の新しいパターンの日中文化交流のタネが根づくことを願っている。渡辺さんの版権という、出版社の乗り越えがたいバリアを弾力的に解決し、翻訳料を「友情価格」にしてもらえば、それほど難事ではない、と思う。第一外大の日本学研究センター出身者の中には、優れた翻訳者になりうる人が多数いる。この「プロジェクト」の現実化を願っている。
「北京週報日本語版」2008年4月9日 |