答 中国で安楽死に関する研究が始まったのは、80年代中期に起きた医療事故がきっかけだ。新しい社会問題として、社会全体の関心はますます高まっており、研究も少しずつだが深まりつつある。
安楽死というのは、公民と社会が最もふさわしい死に方として選択し、また憧れるものでもあり、死という段階で実現される一種の社会文明とも言えるだろう。しかし、安楽死はあくまでも医学や倫理、道徳、法律、社会学、哲学といった多くの分野にかかわる総合的な社会問題であり、そのため中国でこの問題が起きると、長期にわたって議論されるのは必然的なことだ。
中華民族は長期にわたって理想的な死を追求してきた。今でも「善終」や「寿終正寝」といった美しい理想を抱いている。改革開放された今日、徐々に形成される新しい道徳規範で安楽死の問題を見てみると、社会主義の倫理や道徳、人道主義の原則に少しも背くものでないことが分かる。そこで、安楽死も現実の生活の中にいる人々に受け入れられるようになった。調査で、最大都市の上海では、お年寄り200人のうち安楽死に賛成する人が73%に達し、北京では85%以上の人が安楽死は人道主義にかなうと考え、80%以上の人が今の段階で国内でも安楽死を実施してもいいと答えている。安楽死に反対するまたは絶対に禁止すべきだと回答したのは、全体の5%に過ぎなかった。
多くの人が安楽死に賛成していても、それを合法化するに当たって、政府も同様に多くの難題に直面している。まず、中国は国土が広く、地域によって医療水準に大きな差があるため、安楽死させるのに必要な「現代医学では不治の病」だと確認するには、一定の水準と一定の医療条件を備えた病院でなければならないということである。第2は、中国は多くの民族を抱えており、その文化的背景、風俗習慣も大きく異なるため、安楽死を受け入れる程度も異なる。第3は、伝統的な倫理道徳や現行の法律から見ても、すぐに安楽死を実施できる環境は整っていない。そのため、安楽死が受け入れられるには一定の過程が必要であり、条件が短期間に熟することはない。
そうであっても、安楽死は中国の伝統的な死に方に対する一種の挑戦だと言えるだろう。それによって人々は生命の意義や死について、より深層的に考えるようになった。社会が絶えず進歩するにつれ、人々の考え方も絶えず変わり、絶えず深まっていくと想像できる。人々はもっと理知的に死を考えると同時に、貴い命をもっと大切にし、素晴らしい生活を思う存分に享受することだろう。 |