高校生500人、大学生200人、各界青年代表300人の日本青少年友好使者代表団一行は、10日に中国に到着し、いくつかのグループに分かれて上海、重慶、広州、成都、杭州、大連などの都市で交流を行った。
元中国大使で日中友好会館副会長の谷野作太郎氏は、今回の訪中団の副団長として、日本各界の青年代表の約130人と一緒に広州と東莞を訪問した。谷野副団長は、「チャイナネット」のインタビューに応じその感想を語った。
日本青年の代表に企業の状況を紹介している広州本田の社員
広州の汚水処理工場を見学している日本の青年たち
いい雰囲気の夜の交流会
日本青年の代表に企業の状況を紹介している広州本田の社員
広州の汚水処理工場を見学している日本の青年たち
谷野副団長は、地方自治体の職員や経済界、日本各界の青年代表とともに広州と東莞を訪れ、南の地域の工業の発展ぶりを目にした。
しかし一番印象深かったのは、東莞理工学校で13日夜に開催された中日青年の交流会だ。それぞれ舞台に上がり「北国の春」や「さくら」などを歌い、日本側も4つのグループに分かれて多くの出し物を披露した。
「夜の交流会は本当にいい雰囲気で、私も涙が出ました。こういう交流の場を経験すると、もっと早く大きな規模でやるべきだったと思いました」と谷野副団長は話す。
2007年から始まった中日青少年交流
谷野副団長は、現在の中日青少年交流の様子についてこう紹介する。政府が資金を出して青少年の交流をするようになったのは、安倍元総理が「21世紀東アジア青少年大交流計画」を実施すると発表してから。中国、韓国、ASEANなど各国から、主に高校生、大学生を中心に毎年6000人の若者たちを日本に招待するようになり、その中の2000人は中国から招いた。去年から始まったこの計画は、今後5年間、続く予定だ。福田首相が訪中した際には、約500人増え、中国側も毎年1000人の若者を招待しているという。
「人数がとても多いと思うでしょうが、非常にいいプログラムで、もっと早くやっていたらよかったなと思いました」と谷野副団長は言う。
日本も青少年交流を担当する組織作りを
中日青少年の交流を語る際、谷野副団長はフランスと西ドイツとの『エリゼ条約』の例を挙げる。
「私は小泉さんが首相の時、政治の交流もとまってしまい、その時にこの『エリゼ条約』が頭に浮かびました。1963年、フランスと西ドイツの間に結ばれたこの条約は、例えば、首相が毎年少なくとも3回、外務大臣が5回会いましょうと条約の中に書いている。その中で一つの大きな項目が青少年の交流です。お互いにそれを担当する大きな組織が政府にあり、両国の間では、毎年14万人の青少年の交流がありました」
これからも中日の青少年が交流を続け、さらに拡大するために、「中国側には全国青年連合会があるように、日本側もしっかりしたそれを担当する組織を作らなければなりません」と、谷野副団長は提案する。
継続することが大切
最後に谷野副団長は、中日両国の相互理解はまだ足りないことを指摘し、これから中日両国の関係を担っていく若い人たちはお互いに交流して信頼を増やしていくことが大切だと、青少年の交流がさらに続いていくことを期待している。
「チャイナネット」2008年3月18日 |