映画は全体が軍刀で貫かれていて、日本で唯一の、健在する「靖国の刀匠」である92歳の刈谷直治氏をメインラインにして展開していきます。老人はこう語ります。「今の日本には大和魂がない。若い者には遊就館(靖国神社の戦争博物館)に行って教育を受けるよう薦めたい。靖国神社こそが大和魂の最もよい教科書だからだ」。そこで私は思ったのです、この「魂」をどう見ているのかを、違った角度から見てみたいと。
私の映画が具体的に示しているのは菊と刀で、その二者の間の関係です。最後に問いただす最もカギとなるのは、やはり天皇の問題です。天皇の問題が解決されず、永遠に曖昧のままに過ぎ去れば、靖国神社の問題を解決することはできません。
記者 撮影の過程で、日本国内に反対する声はありましたか。
監督 彼らは直接的に反対したわけではありません。まず極めて大きな疑問が生じ、そして警戒するようになり、直接的に関与し、そして障害を設けるのです。多くのシーンは早くに撮影していました。現在、靖国神社の外観は撮影できますが、申請しなければならず、しかもカメラを持っては入れませんし、内部で行われる多くの活動はすでに撮ることはできません。
テープを抹殺するよう求める人もいましたし、なんと私の機器を直接奪い去って行った人もいました。なかでもかなりひどい一幕は、05年の8月15日、第二次大戦終結60周年の時のことです。日本国内では20万人が参拝し、当時の小泉純一郎首相も来ました。その場にいた一人の大学生が、参拝反対と大声でアピールしましたが、取り押さえられて、神社から外に出されてしまいました。私も当時、その場にいてずっとだらだらと汗を流しながら、撮影を続けました。汗をぬぐうことには頭が回らなかったほどです。カメラも回ってくれましたが、その後、右翼がやって来て、何をしているのかと聞きましたが、一言も口にしませんでした。
とにかく、いろいろな問題、障害がありました。靖国神社は日本人自身も撮影したことのないテーマですし、私が中国人だからでしょう、非常に大変なことでした。
記者 映画に遺憾だ、と思うようなところはありますか。
監督 もちろんあります。映画は編集して123分になりましたが、撮影した10年の間、非常に重要な取材の多くが時間や内容の制限から、組み入れることができませんでした。
私は台湾と靖国神社にかかわる短編ドキュメンタリーを撮ったことがあって、日本のテレビ局で放送されました。非常に素敵な物語で、台湾の陳阿嬌というお年寄りの夫(台湾人)が「英霊」として靖国神社に祭られている、というものです。陳さんは生涯にわたって一つの歌を覚えています。夫が日本軍として戦場に臨む前に歌った靖国神社の歌ですが、いまでも歌うことができます。靖国神社に対しては心動かされる思いにあふれ、靖国神社は夫の英霊のあるところ、自身が思いを託するところだと感じています。しかし、彼らの祖先(台湾の先住民)は日本人に殺害されていて、一つの民族が日本の軍国主義によって徹底的に洗脳されたことを感じさせるものです。
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