私はみなさんが一つの問題、つまり、「戦争の後遺症」はどうして残されたのか、アジアにこれほど複雑なことがあるのはなぜか、日本でいまだにこれほど激しく論じられる問題になっているのはなぜか、ということを深く考えてくださればと思っています。日本の第二次世界大戦後の戦争への認識問題は世界的な地域を巻き込んだがゆえに、この映画は単にアジアだけのトピックではなく、さらには世界的なトピックでもあって、過去の戦争にどう向き合うか、真の平和をどう創造するかというものなどです。
記者 この映画は2月のベルリン映画祭に出品されました。
監督 ベルリン映画祭は歴史がいかに現実と将来に影響を及ぼすか、ということに一貫して大きな関心を寄せてきました。映画祭の会長は出品を要請された際にこの点を何度も強調され、「靖国神社」はこの面で戦争について非常に深く考えさせるものがあり、非常に力強い映画だと話されていました。
主催者によりますと、今年の映画祭はとくに戦争を回顧するテーマを計画したそうです。この意味から言えば、私たちの映画と彼らの計画したテーマは相通ずるものがあります。ですから、ベルリンのメディアは私たちの映画に強い関心を示していました。
ドイツは独特の歴史があり、戦争での反省は非常にはっきりとしています。一方、日本はかなり違います。靖国神社をめぐるアジアでの問題は、ドイツにとっても同様に極めて大きな刺激となるものです。
記者 監督は初めて靖国神社を撮影のテーマにされました。その初志とするものは何でしょう。
監督 10年前のことです。1989年に日本に行ったのですが、もともとは南京に関する映画をつくりたいと思っていました。
97年ですが、南京大虐殺60周年の時のことですが、私は日本で開かれた南京問題について考えるシンポジウムに参加しました。活動の1つが、日本軍が南京に侵入した後に撮影されたドキュメンタリー「南京」を上映することでした。日本軍が国旗を掲げる画面が出てきた時、私はものすごい音、なんと満場から沸き起こる拍手を耳にしたのです。私はからだがとても震え、その音はいまでも忘れられません。まるで機関銃を掃射するようなものでした。
日本での生活が長くなるにつれ、周りの友人や同僚と歴史問題について語りますと、戦争という問題に対する認識がそれぞれ大きく違うことに気づくようになりました。そこで私は、彼らにゆっくりと近づいていって、一体、どのように考えているのかを理解したい、どうしてこういうことがあるのかを知りたいと思うようになったのです。
記者 映画はどのような靖国神社を描いているのでしょう。
監督 この映画は教科書ではなく、学術討論でもなく、報道でもなく、真に魂に触れるものです。私が重点としたのは、靖国神社の象徴的な意義を表現することでした。どの国が発動した戦争であれ、いずれも自らは「聖戦」だと感じているとしても、靖国神社はこの世界で最大の「聖戦」の象徴なのです。現在に至るまでこれほどの歳月を経ていても、いまだに否定されていない、こんなことは世界のほかの場所にはないことです。
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