大学院生の期末試験の小論文でも「日本・中国と私」と抽象的なテーマにした。「雪月花」という日本語が、白居易の詩に由来していることを発見した感動を見事な日本語で書いていた。「う~ん、うまい」と、100点満点をつけようと思ったが、2個所の助詞を直したので98点とした。このような素晴らしい文章に出会うと、嬉しくなって添削、採点に時間がかかることなどすっかり忘れる。
ほかの授業では、中国語の歌詞に訳された日本の歌を教材にしている。「北国の春」「花」「里の秋」の中国語訳は、日本語の歌詞内容と大きく異なっている。「北国の春」はいくつもの中国語訳があるが、「花」「里の秋」などは、男女の恋心の歌詞に変わっている。
ハーモニカや二胡でメロディーを演奏した後、日中両国語で学生と一緒に歌い、歌詞の違いや歌の背景を説明する。教壇で歌うのは小学校の時以来だ。あの時歌った経験が、まさか半世紀後に外国の大学で役立つとは泉下の恩師も思わなかっただろう。
南京の日本商工クラブ総会でハーモニカ演奏する
斎藤氏(左。右は斎藤氏の二胡の師匠・董金明氏)
落語の中にある中国語
日本人のものの考え方を紹介するには、落語がもっとも適した教材だ。
「侍なんか屁とも思わねえ」と啖呵を切って、武士を怒らせた店子に対して、大家さんが「お侍さんに向かって、屁とも思わないとはとんでもない。いいか、これからは必ず屁と思うのだぞ」と、説諭する場面などは、権力者に対する痛烈な仕返しである。現実にはできない庶民の願いを落語の世界で実現させる。落語人気の秘密がここにあり、日本人の本音も分かる。
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