日本のメディアはこのほど、北京五輪組織委員会が石原慎太郎氏を2008年北京五輪開会式に招待したことをこぞって報道した。
北京五輪組織委が石原慎太郎氏のような人物を開会式に招待することは、石原氏本人にも思いもよらなかったことかもしれない。石原氏はかつて、日本は2008北京五輪をボイコットすべきだと呼びかけたことがある。しかし、その人種差別的ニュアンスに満ちた言論は、日本人を含む多くの人々から批判を浴びた。
中国が東方の「礼の国」の1つとして、以前の違いにこだわらず、広い度量のある態度で石原慎太郎氏を五輪という盛会に心をこめて招待することは、中国が世界の平和と発展を促すため、日本との良好な関係の樹立を心から望んでいることを示している。国際関係の中では、「永久不変の友達もなければ、永久不変の敵もなく、永久不変の利益があるだけだ」という19世紀のバーマストン英国外相の名言がある。この利益とは国家の利益である。石原慎太郎氏は日本人として確かに中国人を怒らせる言論を多く残しているが、今回、同氏が招待を受け入れることは彼の姿勢の転換を示すことになる。執拗ではあるが、固執はしないこのような人物に対しては、われわれは歓迎の態度で臨むべきだ。
2008北京五輪そのものは各国人民をつなぐ橋を架け、異なった民族、異なった文化の人々の間の相互理解を強化し、世界平和を促し、戦争の脅威を少なくするためのものである。石原慎太郎氏を北京五輪へ招待することは、彼に中国を客観的に理解させ、狭いナショナリズムの考え方を変えさせ、中日両国の友好関係の強化と発展に役立つものである。オリンピック運動の目的と人類社会の正義の事業が達成すべき目標は一致するものであり、石原慎太郎氏を北京五輪へ招待するのはこの目標を達成するための良い機会だと言えるだろう。
バルセロナ五輪での忘れがたい感動的な一幕が今でも思い出される。イラクとクウェートの湾岸戦争が終結したわずか1年後、イラク、クウェート両国の選手が同時に競技場に姿を現した。これは、スポーツの役割を人間の全面的な発展を促すことだけに限定せず、社会の発展と結びつけ、スポーツを明確に社会を変える力として高めるとともに、このような力を意識的に広い範囲にまで活用したものであり、オリンピック運動の一大壮挙であった。これは、現代社会に入ってからスポーツが持つ意味が拡大し、その機能が増したことを示すだけでなく、人々のオリンピック運動に対する認識が新しい段階に入ったことを示している。石原慎太郎氏に招待状を出したこともまさにこのような認識がさらに高められた結果だと思う。
「北京週報日本語版」2008年1月28日 |