古代から、正月一日は「元旦」と称された。「元」は初め、「旦」は朝、「一年の最初の日の出」の意味だ。1911年の辛亥革命後、孫文は1912年1月1日を民国元年1月1日とし、本来の農暦の「元旦」を「春節」と改めた。中華人民共和国成立の際に、中国の暦法は世界共通の西暦が採用され、西暦の1月1日を「元旦」、農暦の1月1日を「春節」として正式に命名した。
年に一度の「春節」は、古くからの習慣であり、殷(いん)・商(しょう)の時代から、年末年始に神や先祖を祭る儀式を行い、収穫に感謝し、今年も豊年でありますようにと願った。漢の時代になると、これが普遍的な社会の風習となった。
「春節」はまた、「過年」とも称される。「過」は越す、越えるという意味。民間には「過年」の由来に関する多くの伝説があるが、その中のもっとも広く知られた伝説の一つを次に紹介する。
昔々、「年」という怪獣がいた。走りは風より速く、怒り声は雷の如く響き渡った。家畜を見れば喰いつき、人を見れば傷つけたため、人々は安心して暮らすことができなかった。そこで、天神が「年」に罰を与え、山奥に閉じ込めて、年に一度しか出ることを許さなかった。その年に一度、「年」が外出を許された大晦日の晩は、人々は外出せず、一晩中寝ずの番をして、「年」と戦うつもりでいた。
ある年、「年」がまた村にやってきた。しかし、たまたま庭で焼いていた竹がポンポン!パチパチ!という音を発したため、「年」は何の音か分からず、びっくりして慌てて逃げ出した。逃げる途中、洗濯物が干してある所で、鮮やかな赤色の服を見た「年」は、まるで目を刺されたように開けられなくなり、一層速く走り出した。疲れ果てた「年」は、生き物を探して飢えを凌ごうと、一軒の民家に入った。民家に点いていたロウソクの光が眩しくて、「年」はそれを見て眩暈がした。「年」は急いで山奥に戻り、二度と出てくることはなかった。 人々は「年」の弱点を掴んだ。それは、大きな音、赤色、火と光である。こうして、毎年、「年」が出てくる時期になると、人々は玄関に赤い紙を貼り、爆竹を鳴らし、太鼓を叩き、ロウソクを点すようになった。「年」は来なくなったが、「年」の災いをふりはらう習慣は、今もそのまま残っている。これが、「過年」の由来だ。
「北京週報日本語版」2008年1月25日 |