林国本
十数年らい、ジャーナリズムの第一線からすすんで身を退き、芸は身を救うとでもいうのか、これまでの蓄積を活かして、第二の人生を存分にたのしんでいる昨今であるが、そのなかでもとくに、いろいろな国際会議に顔を出す機会に恵まれ、新しいフロンティアの開拓を趣味としている。そして、さいきんの話題性から人一倍環境問題に興味をもつようになっている。
中国に嫌悪感を抱く人たちがよく論評を書いている『正論』とか『諸君』にも目を通しているが、中国のことを冷静に観察している日本の評論家の論評にも注目している。筆者が思うには、中国は改革、開放の30年間にたしかに大きな成果を収め、今では外貨準備高も世界一となり(13億の人口による割り算を忘れないように)、以前は夢物語だった、個人の海外旅行も、夢ではなく現実となっている。知人のなかには、地中海へのクルーザーの旅のプランを練っている人もいる。ワーカホリック的傾向のある筆者は、ジャーナリズムの世界のフロンティアの開拓のほうが面白いという考え方に凝り固まっているので、まだそういうことを楽しむ気持はない。ワーキングプアの一人かもしれないが、だんだんと豊かになっていく中国の姿を見ていて、この30年間はたしかに成果はあったと見ている。
しかし、一介のジャーナリストとして、いろいろな課題の存在にも目を向けている。
まず、エネルギーの消費がこのまま増えつづけていけば、一体どうなるのか、ということである。筆者はずっとモータリゼーションの必要性を唱えてきた。なぜ、発達諸国の人たちだけが、現代文明の恩恵に浴し、発展途上国の人間はそれをうらやましそうに見ているだけなのか。中国の都市に住む人たちも、ひとつの家庭にマイカーを一台や二台もつ日が早く来たらいいなあ、とも思っていた。
今や、北京の町では東京と同じぐらいの渋滞が見られるようになり、モータリゼーションらしい光景を目にするようになってきた。しかし、私は数十年前に患い、その後、注意に注意を重ね、再発をなんとか防いできた“ぜんそく”が再発し、シックハウス症候群みたいな症状も現われてきたことに気づいている。やはり、環境問題を考えせざるをえなくなった訳である。農業の近代化でトラクター、コンバインとすべてが機械化され、近くの芝生も機械での刈り取りが行われるようになった。マスコミでは、中国による石油の輸入が話題になり出した。
先般の石油価格の高騰で、個人経営のガソリンスダントが、それに便乗してちゃっかり大幅の値上げをして、マスコミに取り上げられていた。そして罰金のようなものも課せられたようだ。日本の一部マスコミには、中国による「資源の暴食」という見出しさえ現われるようになった。さらには、国外での石油資源の確保なども伝えられている。
「北京週報日本語版」2008年1月23日 |