「小寒流」は中日友好の主流を妨げない
中日関係が冬に戻ることがあるかどうかについて、徐氏は次のように語った。「現在、中日関係は好転しているとはいえ、中日間に問題がない、矛盾がないというわけではありません。中日両国の体制は異なり、イデオロギーや価値観も異なり、経済の発展段階も同じではなく、違った考え方が生じたり、一部で矛盾や摩擦が起きたりするのは仕方のないことで、鍵となるのは正しく対処し、冷静に解決することです。双方が3つの重要な文書でなした確約を順守しさえすれば、中日関係は安定するでしょう」
徐氏は続けた。「中日両国は隣り合って住んでおり、友人なら選ぶことができますし、隣人なら引越しをすることができるでしょうが、隣国が移動するのは不可能です。こうした隣国にはおよそ2000年におよぶ友好があり、50年余りにわたる不幸もあり、日本の中国侵略によって中国人民は多大な被害を受けました。しかし、現実には誰であれ、誰からも離れることはできないのです。中日関係はこれほどまでの規模に、これほどまでに深く発展しており、お互いに利害を内に押さえ込んでいると言っていいでしょう。数年前、小泉政権によって中日関係が冷え込んだ際、私は慎重で楽観的な姿勢を持ち、悲観したこともありませんでしたが、その理由は、両国の長期的な政治的利益、経済的利益、安全の利益から言えば、中日は不可分であるからなのです。中日間に『小寒流』が多少流れ込んでも、恐れません。中日友好の主流が変わることはないからです」
中日は地域の発展と繁栄の促進を
徐氏は中日関係の将来に自信を見せた。「中日間の友好の気持ちは歴史的に形成されてきたものです。『遠い親戚より近い隣人』という言葉がありますが、この2つの国は、以前は気づかず、ようやく気づきはじめました。この数年、両国関係は順調に発展することはありませんでした。例えば、靖国神社参拝の問題にしても、小泉氏の姿勢は独断専行的で、どこまでも過ちを続けました。安部氏は彼の都合から、行くとも、行かないとも口にせず、曖昧な姿勢を示しましたが、06年の訪中「砕氷の旅」はやはり非常に大きな効果を上げました。福田氏は就任後、首相として靖国神社を参拝しない考えをはっきりと表明しました。これは中日関係にとってプラスの要素であり、大切にすべきでしょう」
さらに徐氏は続けた。「中日間の善隣友好を発展させ、両国の戦略的互恵関係を構築することは、双方にとって必要なことです。私たちは楽観的な姿勢をもって中日関係の発展を推し進めなければなりませんが、これは両国にとってプラスであるばかりか、地域の安定と繁栄にもプラスとなります。中日両国が平等に対し、互恵協力を行えば、必ずこの地域の発展は促進されるでしょう。ですから、こうした意義から言えば、幅広い視野を持って、全地球的な角度に立って、中日関係に眼を据えて発展させてくことが必要です」
中国に“蚊の目玉スープ”はありますか?
「“蚊の目玉スープ”を飲んだことがあるかね?」 取材を終えた後、徐氏は興味津々に記者に聞いた。私が呆気にとられていると、徐氏は「蚊の目玉でつくったスープだよ」と辛抱強く説明してくれた。世の中にこんな料理があるとは聞いたことがない。徐氏はその来歴を話してくれた。
80年代、日本の中国大使館に勤務していた時、当時の福田赳夫首相(現在の福田首相の父親)と知り合いになった。「老福田」は時代とともに進む保守派の政治家で、首相在任中、中国と平和友好条約を締結。81年、「老福田」が要請に応じて中国を訪問し、北京で会議に出席した折り、徐氏は食べ物で何か駄目なものがあるか、と尋ねると、なんと、「老福田」は笑いながら「中国に“蚊の目玉スープ”はありますか?」と尋ねたという。
徐氏もまったく聞いたことがなかった。コウモリは湿気の多い洞窟に生息し、蚊を餌にして生きているが、目玉は消化できないので吐き出し、人間がそれを拾ってスープにしたら、体に非常に良かった、と伝えられているのだという。その後、徐氏は調査をしたり研究したりし、アジアの国を訪れるたびに“蚊の目玉スープ”があるかどうか聞いてみた。だが、いずれも答えは「ない」だった。
ここまで話すと、徐氏は朗らかに笑い出した。「老福田」がどこからこの奇怪な料理を聞いたのかは徐氏も知らない。日本の多くの政治家は中国の古典文化に比較的興味を抱いており、常にその名句を使って互いに鼓舞し、自らを律しているのだ。
「北京週報日本語版」2007年12月26日 |