世代の友好・永遠に戦わない
記念行事の会場で、中国の軍服を着た一人の日本の年配者に目が止まった。
長野県安曇野市に住む幅敬信(はばよしのぶ)さんで、今年82歳。「なぜ中国軍隊の服装をしているのですか」とたずねると、「私は中国人民解放軍だよ」、と大声で笑った。
1930年代、日本は中国東北地方を占領。日本政府は「満州国」を成立させるため、多くの日本人をこの地に移住させた。
幅さんは17歳の時、家族とともにハルビンに渡り、ハルビン農業公社で小麦を栽培するなど、農業に従事した。
1945年8月8日、日本は敗戦となり、軍隊の大部分は日本に帰還。だが、100万人余りの日本人住民は置き去りにされて難民となり、誰もが不安に駆られた。幅さんも避難するの人の群れの1人となった。
中国人はこうした日本人に危害を与えることはせず、人道的立場から、援助の手を差し伸べた。中国人から食べ物をもらったり、お金をもらったりして、命を取り留めたのだ。
1946年冬、砲弾の操作を熟知していた幅さんは中国人民解放軍に従軍。第四野戦軍第四四軍傘下の中隊の小隊長となり、中国人との間で強い友情を育んだ。
そして1953年。幅さんは7年間の軍隊生活を終えた後、58年に母国に戻った。
今回の行事に参加した感想について、幅さんは「日本の侵略戦争は中国人民の数千万人の命を奪っただけでなく、日本人民にもかなりの被害をもたらした。現在、日本と中国では3人に2人が戦後生まれだから、『葫蘆島大帰還』のような歴史を彼らに、特に若い世代に伝えていくことが大切だ。日中両国が世々代々、友好的につき合い、永遠に戦わないよう心から祈る」と話すと、感極まった表情をみせた。
26日、内外のメディアと訪中団は葫蘆島市を見学し、市民と交流会をもった。
短い期間でも、葫蘆島市はずっと友好的な雰囲気に包まれていた。
平和共存、代々友好、素晴らしい未来を切り開く。これは葫蘆島市民の願いだけでなく、中日両国の人たち共通の願いでもある。 (本誌記者・陳煒)
「北京週報日本語部」2006年6月28日
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